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高校野球

シリーズ・黄金時代① 大阪桐蔭
王者が冬の時代を乗り越えた時【2】

大阪桐蔭、甲子園復活ののろしを上げた西岡剛

お手本の社会人野球を観戦
「全力疾走と声」がチームに

 それでも個性がぶつかり合った中で生まれたエネルギーも力となり、岩下らの3年夏に11年ぶりの甲子園出場。すると、翌1月に西谷が監督復帰。長澤野球の大らかさを継承しつつ、元捕手の細かな目線を伴う指導が徐々に浸透。監督、コーチとして指導を受けた岩下は当時の西谷の印象をこう話す。
「『うちのチームは守備メイン』とよく言っていました。守備があっての攻撃。その中で社会人野球の試合を見に行ったり、都市対抗のビデオを見たりしていましたね。ハイレベルの中に必死さが表に出る社会人の野球が西谷さんの求める理想の野球と合ったんじゃないか、と思います」
 今も京セラドームで行われる秋の日本選手権の生観戦など社会人野球を手本とした教えは継がれている。岩下の2年下で2004年選抜メンバーの橋本翔太郎(現・大阪桐蔭コーチ)は現役時代を振り返り、まず「全力疾走と声です」と、思い出を口にした。
「今ももちろん継続していますが、全力疾走と声が徹底されたのが僕らの頃だと思います。西谷監督が復帰されて練習初めのアップも変わりましたし、練習内容も含めいろんな面でチームが変わった、改革された時期。選手からしたら当初やらされている部分もあったと思いますけど、あの頃から練習の雰囲気、中身も変わってかなり今に近づいたと思います」
 橋本の1年後輩、辻内、平田世代で3年夏には甲子園ベスト4を経験している米川千貴は滋賀県からの進学。これが当時は珍しかったと振り返った。
「今はいろんなところから選手が来ていますけど、当時は大阪と奈良がほとんど。僕らの学年も完全にそうで21、22人いましたけど関西圏以外はゼロ。滋賀で珍しかったくらいでした」
 ちょうど2001年春にPL学園が部内不祥事により、今江、朝井、桜井、小斉らが揃い、PL最強世代との声もあったチームが夏の出場を辞退。長年チームを支えたスカウトもチームから外れ、その後の有望中学生たちの進路に少なからずの影響を与えた。そこへ大阪桐蔭の11年ぶりの甲子園も重なり、選手補強の流れが変わったのがこの時期でもあった。ただ、大阪桐蔭のスカウティングに関し、単純に技術を持った選手だけを集めたのではない、と米川は言った。

取材・文/谷上史朗 編集/田澤健一郎

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シリーズ・黄金時代② 帝京 激しすぎたチーム内での戦い【1】