Baseball Gate

高校野球

【父の背中を追って】工藤拓也(日本ウェルネス)転校や重圧を乗り越えた先に

★転校を経て最後の夏へ

ソフトバンクの工藤公康監督の次男、5兄妹の末っ子である工藤拓也は、紆余曲折を経て日本ウェルネス高校(東東京)の一塁コーチとして、最後の夏にその役割を全うしようとしている。

工藤拓也(くどう・たくや)・・・2000年2月2日生まれ、東京都出身。投手をしていたが今春から外野手に転向。左投左打。父はソフトバンクの工藤公康監督。


「どこ行っても、なんて言うんだろ・・・。なんかプレッシャーを抱えながら野球をやっていることが前の高校にいた時とかにありました。無理に野球を頑張ろうとしていた時期もありましたね」

偉大な父親の存在について、正直に振り返る。長男の亜須加(現俳優)に野球の競技経験はなく、5兄妹の中で唯一野球に打ち込んでいる。

野球を始めたのは小学校6年の終わりごろ。学校でやっていたドッジボールで投げる楽しさを知ったからだ。地元の軟式野球チーム、地元の中学軟式野球部でプレーした後、より高いレベルでの野球を目指して、強豪の軟式野球クラブ・川崎ロッキーズへ移った。県屈指の強豪ではあったが、ここで工藤は足首と肘をそれぞれ骨折してしまう大ケガを2回してしまい、約9カ月野球から遠ざかった。

そして、強豪校へスポーツ推薦で進んだものの、大きなブランクとその間に身長が大きく伸び、体重も大きく増えてしまった体は、野球の感覚を想像以上に鈍らせていた。その後様々な事が起こり、1年の9月で野球部を去った。

美齊津忠也監督の話を真剣な眼差しで聞く工藤(左から2人目)。


★「父を喜ばせたい」

野球を続けたい気持ちは強かったが、両親と相談の上、しっかりと成績を残せるように勉学に励み、1年の単位を取り終えて、2年の4月から日本ウェルネス高校へ転校した。

通信制の同校は様々な背景を持つ選手を受け入れた中で強化を進め、昨夏には東東京大会16強入りを果たした。多くは他の高校と同じようにスポーツ推薦や一般受験を経て入学しているが、工藤のように他の高校を何らかの理由で退学して転校してきた選手や中学時代に不登校を経験した選手もいる。

それだけに選手たちは温かく受け入れてくれた。「初日からみんなで帰ったり、馴染みやすかったです。先に入っていた転校生の子が特に声をかけてくれたりしました」と振り返る。

「(ケガもあったので)野球をちゃんとやれていたのは2年くらい。この中で誰よりも短い」と言うように、父のような華やかなプレーはできない。転校した場合は1年間公式戦に出場できない高野連のルールが解ける今夏も、立場は控えの外野手兼一塁コーチを務めることが濃厚だ。

指揮を執る美齊津忠也監督は、「ウチで野球をする上で、野球が上手いかどうかは一番大事な要素ではない」とし、「練習で片付けを最後までやってくれていたりする。そういったところを評価しているし、意見もちゃんと伝えることができ、いろんなことに気付くことができる」と、一塁コーチに抜擢した意図を語る。

工藤自身も以前、必要以上に感じていたプレッシャーも今は無く、チームに最大限の貢献をしたいと考えている。

「以前、父と話した時に“お前がたとえ下手でも俺の息子とか関係ないよ。自分なりの野球をして、もし試合に出られなくても、そこで良い経験ができるから、しっかりやりなよ”と言ってくれました。美齊津先生も厳しく接してくれて自分も成長できたので、良い指導者に巡り会えました。この夏はやるべきことをしっかりやっていきたいです」

そして、支えてくれた父親に今の姿を見て欲しいと話す。

「もし観に来てもらえたら、試合には出ていないけどチームの役に立って、ちゃんとやっているんだなっていう姿を見せたいです。応援してくれているので、喜ばせたいですね」

温かい仲間とともに、必要とされた居場所から、1度は諦めた甲子園への道を突き進む。



今年になって取り組んでいる一塁コーチや外野手の経験が視野を広げさせており「投手とは全然違う緊張感が楽しいです」と話す。


文・写真=高木遊

【父の背中を追って】馬渕歩空(帝京大可児)高校野球を通じ、父への意識に変化

【父の背中を追って】度会基輝(拓大紅陵)名門の大黒柱は父譲りの野球小僧