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「頭を使わなくてもできる野球」の時代に頭を使うのは誰か?【NISSAN BASEBALL LAB】

イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉

写真提供:共同通信社

 もう2ヶ月ほど前の話になるが、イチローの引退会見で特に印象深かったのは「頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある」という言葉と、その現状への「どうも気持ち悪い」という心境の吐露だった。

 イチローが渡米した2001年と比べると、スタットキャストなどの導入で扱えるデータが爆発的に増え、MLBの野球はデータを活用したものに変わってきた。球場に設置されたカメラとレーダーで収集されたデータは各球団に平等に渡され、走攻守すべてが丸裸な状態である。むしろ以前よりも頭を使わなければ勝てない環境になっている。

 膨大なデータを勝利へ結びつけるために、分析やシステム開発を専門とするスペシャリストの思考力が必要不可欠になった。

 「マネー・ボール」(※1)で描かれたアスレチックスのように、GM(ゼネラルマネージャー)のビリー・ビーンが客観的な指標で選手を評価、獲得した時代と比べても、データが影響を与える範囲は大きく広がっている。

 裏で支えるスタッフの思考や思想が選手のプレーそのものに反映される時代になったのだ。かつて、野球のプレーは野球選手、監督、コーチが考えるものだったが、今はそうとは限らない。その状況に対応するため、各球団とも選手を取り巻く組織体制を大きく様変わりさせている。

 イチローの語った「どうも気持ち悪い」という言葉は、野球選手がおかれた環境の変化にも要因があるのではないだろうか。その視点から、MLB各球団のフロント組織に焦点をあててみたい。

■MLB球団関係者の全体像

MLB球団関係者の全体像 表1


 MLB各球団の公式ホームページを参考にして、球団関係者を職種別にまとめたものが上の表だ。200~400人程度の規模のスタッフを抱える球団が多く、平均すると全体の約1/4(50~100人)が「ベースボール・オペレーション」と呼ばれる領域に所属している。

 一般の企業と同じように考えるならば、主力のサービスを創り出す部署が「ベースボール・オペレーション」だ。日本のプロ野球では「球団本部」「球団統括本部」「編成部」といった表現をするが、MLBではこの呼び方が主流となっている。

 チームによっては「クラブハウス管理」「医療・コンディショニング」「システム開発」が別部署となっている場合もあるが、今回は球団の強化を支える領域の職種はまとめて「ベースボール・オペレーション」とした。

 「ベースボール・オペレーション」を中心に生み出す野球のサービスをマーケティングする機能が「事業戦略・PR」「販売・営業・パートナーシップ」「スタジアム運営」「企画・制作・技術」の各部署。さらに、総務を取り仕切る「財務・法務・人事」の部署がある。

 野球産業の場合「今日はチケットが売れていないから試合をしない」という発想はないため、「ベースボール・オペレーション」は独立性が高い。その上、野球という特殊な専門性を持った集団であることもあり、他部署との壁ができやすい。

 日本だと「ベースボール・オペレーション」にあたる部署を「強化側」、それ以外を「事業側」という言葉で表現することもある。場合によっては「球団」=「ベースボール・オペレーション」の意味で使われることもある。

 MLBにおける「ベースボール・オペレーション」の仕事を分かりやすくするため、今回は「選手」「監督」「コーチ」「野球技術のコーディネーター」を除き、裏で球団を支えるスタッフの機能を以下の8つに分類した。

【GM・副GM・GM補佐級】
- 球団編成全体の統括を行う「General Manager(GM)」や「President of Baseball Operations(野球運営責任者)」に加え、そのサポートとして「Assistant General Manager(GM補佐)」「Special Assistant to the GM(GM特別補佐)」などの職種がある。

【選手育成・能力開発】
- 主に「Player Development(選手育成)」と呼ばれる部署や職種で、国内外のマイナーリーグの運営や、選手の育成や能力開発を担当する。日本だと「育成」という言葉がよく使われるが、MLBでは能力開発というニュアンスが強い。

【スカウティング】
- イメージしやすいのは海外の選手を発掘する「International Scouting(国際スカウト)」、アマチュアの選手を発掘する「Amateur Scouting(アマスカウト)」。加えて、MLBはリーグ内での移籍も多く、プロ領域を担当する「Professional Scouting(プロスカウト)」が多く存在する。また、次の対戦相手の偵察を行う「Advanced Scouting(先乗りスコアラー)」や、映像の加工や編集を行う「Video Coordinator(ビデオ・コーディネーター)」も、他チームの野球選手を見る専門職種としてスカウティングの中に含めた。日本ではスカウトとスコアラーは明確に分かれているが、MLBにはスコアラーという肩書がなく、先乗りを含めてプロ選手のスカウティング担当スタッフとして扱われている。

【クラブハウス管理】
- クラブハウスの部署が独立しているチームもある。主には「Clubhouse Manager(クラブハウス・マネージャー)」「Equipment Manager(用具担当マネージャー)」などの職種。

【マネジメント】
- 主には「Player Personnel(査定担当)」のような選手の人事領域の職種、「Director. Team Travel(球団旅程担当ディレクター)」などスケジュールのマネジメントを行う役割、および「Interpreter(通訳)」。他にも「Director Baseball Operation(野球運営ディレクター)」など分類しづらい職種を入れた。

【医療・コンディショニング】
- やや領域が広いが、メディカル、コンディショニング領域とスポーツ科学の領域はこちらに分類した。具体的には「Team Physician(チーム付き医師)」「Athletic Trainer(アスレティック・トレーナー)」「Physical Therapist(理学療法士)」「Strength & Conditioning Coach(ストレングス&コンディショニングコーチ)」「Mental Performance Coach(メンタルパフォーマンスコーチ)」「Analyst. Sports Science(スポーツ科学のアナリスト)」などだ。

【分析・研究開発】
- 主にはアナリストやR&D(研究開発)組織の責任者。「Analyst. Research and Development(研究開発のアナリスト)」「Manager. Baseball Research(野球調査のマネージャー)」「Quantitative Analyst(クオンツ・アナリスト)」「Data Scientist(データサイエンティスト)」などが具体的な肩書となる。野球を見て分析をする「ビデオスカウティング」ではなく、あくまでも定量的な手法での分析能力が求められる職種だ。

【システム開発】
- システムを実際に開発する、または開発のディレクションを行う役割。ベースボール・オペレーションの部署の中に技術者を抱える球団が多いが、パイレーツやジャイアンツは事業側の「エンジニア」の部署に野球システムの担当を置いている。肩書の例としては「Software Developer(ソフトウェア開発者)」「Data Engineer(データエンジニア)」「Data Architect(データアーキテクト)」など。研究開発の部署に所属していても、システム開発・設計の専門性を示す肩書であればこちらに分類した。

 あくまでも公式ホームページに載っている人を対象にしているため、実働するスタッフは他にもいる可能性があるだろう。また、できる限りブレなく分けるよう心がけたものの、球団ごとに部署名や肩書が少しずつ異なっているため、分類に主観的な部分がある点は否めない。それでも、MLB全体の傾向や球団の特徴を知るには十分な情報だと考えている。

 8つに分類した機能の中で、スタットキャスト全盛の時代に注目すべきは「分析・研究開発」と「システム開発」だ。

■「研究開発」や「システム開発」がベースボール・オペレーションの一大勢力になった

表2 チーム別分析・研究開発、システム開発者数


 上の表の通り、多くの球団が「ベースボール・オペレーション」の中に「分析・研究開発」や「システム開発」の集団を抱えている。

 「分析・研究開発」の専門家が最も多いのはアストロズだ。「R&Dのアナリストが3人、R&D(研究開発)のディレクター、プログラム・マネージャー、調査マネージャー、マイナーリーグの技術コーディネーター、選手獲得の補佐、アマチュアスカウティングのアナリスト、プロスカウトのアナリスト、研究員が1人ずつ」という大所帯になっている。

 このデータを取得した1月末時点では唯一、オリオールズだけが0人だったが、今年から「アナリスト3人、開発者2人」という分析チームを立ち上げたため、「分析・研究開発」の肩書が1人もいないチームはなくなった。

 もうひとつの特徴は、野球システムの開発を自前で行えるチームの多さだ。ヤンキースは「web開発者が3人、iOSの開発者が2人、SQLの開発者が2人、野球システムディレクター、データベースエンジニア、データエンジニア、品質保証エンジニア、ソリューションエンジニアが1人ずつ」という体制。

 レイズは「開発者3人、野球システムディレクター、開発ディレクター、開発アシスタント、プログラマー、分析エンジニア、データエンジニア、データ技術者が1人ずつ」という体制となっている。

 「The Extra 2%」(※2)という書籍にも描かれているように、十数年前からセイバーメトリクスを現場で生かすための組織づくりをしていたレイズはともかく、ヤンキース、カブス、ドジャースなど、大都市の人気球団が上位にいることも興味深い。

 カブスは2016年にワールドシリーズ制覇、ドジャースはナショナル・リーグ西地区を6連覇し、2017、18年と2年連続ワールドシリーズに進出するなど、分析に力を入れているチームの多くはここ最近のMLBの主役である。

 また、4月6日のボストン・グローブ紙の記事(※3)によると、昨シーズンのワールドチャンピオンに輝いたレッドソックスも研究開発部門に5名のスタッフを増やしたとのことだ。「分析・研究開発」「システム開発」が9人→14人になり、MLBトップ5クラスのスタッフを抱えることになった。

 レッドソックスはセイバーメトリクスの開祖であるビル・ジェームズがコンサルタントを務めるなど、レイズ同様、早くからデータ分析に力を入れていたチームのひとつだ。

表3 チーム別医療・コンディショニング担当者数【TOP10】


 もう1つ注目したい領域は「医療・コンディショニング」だ。データ活用の範囲が広がり、医療やスポーツ科学の視点から強化を図るチームも増えている。

 アメリカン・リーグ中地区で3連覇を果たしているインディアンスはスタッフの約半数が「医療・コンディショニング」で、その割合が図抜けて多い。また、ブルージェイズはベースボール・オペレーションの中にハイパフォーマンスの役割を設け、多くのスタッフを置いている。

 従来からの「アスレティック・トレーナー」や「理学療法士」だけでなく、ドジャースやレイズには「パフォーマンス・サイエンス」という領域のコーディネーターやアナリストが複数配置されている。レイズは他に「動作解析」「栄養学」の専門家も抱えている。

 「分析・研究開発」のスタッフは、どちらかといえば試合中のデータを統計的に処理するスペシャリストだが、今後は試合外のデータを扱い、選手ごとの個別性にあわせて能力向上をサポートするスペシャリスト、医学やスポーツ科学領域の専門家がチームに多く加わると予想される。

 医療の言葉でいえば、現場に寄り添った「臨床」の領域がより必要になるというイメージだ。定量的な分析と哲学がかみ合わないことは多く発生しそうだが、その食い違いを乗り越えて勝利を目指す組織づくりが求められるだろう。

表4「ベースボール・オペレーション」の組織体制比較(象徴的な3つの時代の3チーム)


 ここまで見てきたように、かつて、野球の専門家集団であった「ベースボール・オペレーション」の部署は、野球以外の工学・科学的な専門性を持つ集団が中心となる時代に移ってきた。3つの象徴的なチームの「ベースボール・オペレーション」組織の内訳をまとめたものが上の表だ。

・2002年のアスレチックス(「マネー・ボール」で描かれた時代)
・2013年のパイレーツ(「ビッグデータ・ベースボール」(※4)で描かれた時代)
・2018年のアストロズ(「分析・研究開発」のスタッフが最も多い球団)

 2002年頃のアスレチックスを描いた「マネー・ボール」はGMのビリー・ビーンや、頭脳明晰なGM補佐のポール・デポデスタらによる選手獲得の物語であり、データをもとに独自の分析を行い、スカウティングの意思決定を工夫したという話だ。

 現場に対して選手の起用法や能力改善に対する要求はあったと報じられているが、あくまでもプレーを考え、実行する主体は選手や監督、コーチだった。

 それが、2013年頃のパイレーツを描いた「ビッグデータ・ベースボール」の頃には、投手の球種、捕手のフレーミング、守備シフトなど、選手とスタッフがともに野球のプレーを考えるようになってきた。

 まだ十数人規模の専門組織を持つチームは少なかったが、分析の専門家が「ベースボール・オペレーション」に加わり、プレーの意思決定に関わることで、監督やコーチ以外のスタッフが選手の「脳」を一部担うようになっていた。

 「分析・研究開発」「システム開発」の部署がベースボール・オペレーションの主役となると、野球のプレーを考える「脳」の役割が外部化される。これが「頭を使わなくても出来る野球」の正体だろう。

 工学的、科学的な分析のアプローチは「いかにパターンを見つけるか」であり、イチローが野球の魅力として語った「同じ瞬間がないこと」とは真逆の感性である。

 プレーヤーは日々変わる自身の肉体、精神をコントロールし、さも何事もなかったかのように、同じパフォーマンスを見せ続けている。私もプロのトップ選手と会話する機会があるが、そこで感じるのは「わずかな差を感じ取れる繊細さ」だ。

 イチローに限らず、過度にパターン化された戦術をトップダウンで強いられる状況、さらにはそれを無条件で受け入れる選手が活躍できてしまう野球を「気持ち悪い」と感じる選手は多いのではないか。

■日本野球は「選手の思考力がわずかな差を生み出す時代」を先取りしたい

 冒頭に書いた通り、現代は明らかに「より頭を使わなければ勝てない野球」になっている。スタッフも含めて、組織全体で考えないと勝てないということだ。

 MLBでは球団ごとに研究開発の部署をつくり、アドバンテージを生み出すための法則を発見しようと躍起になっているが、法則は誰でも使える知識である。一度パターン化されてしまえばほどなくして共有され、球界全体の財産となっていくはずだ。

 一方、選手の考えや行動をコピーすることはかなり困難だ。イチローが何を考えているかはイチローにしか分からない。テクノロジーである程度のパターンは分かるようになる時代が来ても、そこには限界があるだろう。

 最終的にプレーの判断をする時点での選手の脳は外部化できない。スタットキャスト全盛期を経て、いずれ、場面に合わせて選手が自ら考えられることが勝利へのアドバンテージとなる時代に突入するはずだ。

 その意味でも日本野球が目指したいのは、変化を恐れず、自発的に考えて動ける選手の育成だろう。日本でも「分析・研究開発」「システム開発」の役割を持つ球団が増えてきているが、勝つための法則づくりに偏ることなく、主体的に考えられる選手を育てる取り組みに期待したい。

 MLBを中心に発見された法則を取り入れつつ、主体的に考えられる選手を育成することは、一歩先に進んだ日本野球の独自性を創ることにもつながるだろう。

※1 「Moneyball: The Art of Winning an Unfair Game」(2003年)Michael Lewis
※2 「The Extra 2%」(2011年)Jonah Keri
※3 「Red Sox are among teams committing increased resources to analytics」 (2019年4月6日)The Boston Globe : Peter Abraham
※4 「Big Data Baseball: Math, Miracles, and the End of a 20-Year Losing Streak」 (2015年) Travis Sawchik

※ MLB職種分類の監修:新川諒

文:データスタジアム株式会社 金沢 慧