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富島が陥った甲子園の時間の流れ

「選抜第7日」 星稜―富島  星稜―富島 3回裏、星稜に勝ち越され、マウンドの黒木将(左から2人目)のもとに集まる富島ナイン=甲子園【写真提供=共同通信社】

高校野球の試合時間って速い、と見ていて感じる人は多いだろう。
 チャンスに乗じて行ければ怒涛のごとく波に乗れるし、ピンチの場面では一瞬のうちに深みにはまって行く。
 初出場の宮崎県立富島高校にとって、辛い1時間58分になったゲームだった。

  「あの連続四球がなかったら」と濱田登監督が残念がったのは、星稜の3回裏の攻撃。先頭打者の2番、続く3番に与えたものだった。両者ともフルカウントからで粘られた。あるいは逆に投手の黒木将胤が粘れたらと惜しまれる。
 「先頭バッターに四球を出してしまって、自分のミスです」とゲーム後、黒木の声は消え入りそうだった。
4番にヒットを打たれ無死満塁。5番のサードゴロを三塁手がセカンドに送球したが、ベースに入った二塁手の窪田が後逸してしまう。
「サードの送球は悪くなかったんですが、セカンドのベースカバーに入るのが遅れてしまった」と濱田監督。犠飛と長短打が続いて5点。ワイルドピッチで6点目。
悪夢はこれでも終わらない。ショートゴロ悪送球の後に、とどめのツーベースを許し、7点目まで献上してしまった。
「グラウンドに入ってアップ、ノックを見ていたら普段通りだったので、大丈夫かなと思っていたんですが。あの7点で重くのしかかってしまった。甲子園ということで普通じゃなかったのかな。ビビってミスするより、開き直ってミスしろと話したんですが」
浜田監督、富島ナインには目の前で起こっていることが信じられないような流れだっただろう。

時間の流れは止まらない。甲子園のそれはしかも、とてつもなく速かった。

 「監督には甲子園の試合展開が速いと言われていた。勢いにのまれないようにと思った」(中川主将)
「時間が急かされると監督には言われていた。早く進む展開を想定し時間を意識して練習していた」(松浦遊撃手)
二人のコメントにあるように、実は事前から対処をしているはずだった。なのに一瞬に過ぎ去った3回の守りだったかもしれない。
 ゲームの流れは変わらず、4回に1死から死球を与えたところで、投手を黒木拓馬にスイッチしたが間に合わず、この回も2失点。最後は11点を取られた。
攻撃では初回に取られた1点を追いかける3回表に2本の長短打で2点をとって一時は逆転していた。
「初回の失点は想定内でした。選手もベンチでそう言っていった。逆転できたところまではいい流れだった。エラーは出てしまうもの。緊張する中でいかにミスを少なくするか。それを最小限で我慢してやってきたのがうちの野球だったんですが。公立校だからこそ、凌いで凌いで1点差でも勝てることを見出したかった」と浜田監督は唇をかんだ。
 夏へ向けて課題は、はっきりした。

 富島は学校創立100周年を迎えた日向市にある歴史のある高校だ。元は農学校として発足。商業科、会計科、経営情報科などのある実業系の高校だ。

浜田監督が富島に転任したのが2013年。最初は部員、11人からの出発だったと言う。浜田監督は前任の宮崎商では元ヤクルトの赤川克紀投手を擁し、2008年の夏に甲子園に出場するなど、県内では手腕を評価された存在。徐々に選手が集まり出した。実力もつけて、15年の秋には九州大会に進み、16年春は宮崎県を制した。そして去年の秋の九州大会で1勝を挙げ、センバツ初切符につながった。

 「部員もそうですし、いろんなものがない中でのスタートでした。保護者の方の協力や、いろんなことの積み重ねがあって、ここままで来られました。センバツに出られて、学校の歴史にも、選手の心にも1ページが刻まれるものになったと思う。それが奢るものではなくて、自信のままでさらに力になるように、声をかけて行きたいと思います」

 レギュラーの中のうち、160センチ台の選手が5人。その中の代表、163センチの中川主将が言う。
  「地元からのたくさんの方々の応援が自分の心に響いた」
 地方の公立高校がまず一つ、足跡を残した。
 (文・清水岳志)