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高校野球

シリーズ・黄金時代② 帝京 激しすぎたチーム内での戦い【2】

選手に試練を与える監督
応えた選手が残っていく

「監督は必ず選手に試練や課題を与えるんです。わざと」
「練習試合でも、よく満塁で打者カウント3ボール1ストライクみたいな状況になるとリリーフを告げられました。こんな場面で!? と思うんですが、それもわざと」(本家)

「そういった監督の試練に応えられた選手が結局、残っていく感じで」(西村)

 西村自身も2年春に4番に抜擢されたが結果を残せず、しばらくレギュラーの練習から外されたことがあるという。ユニフォームを着ることも許さず、制服のままで立って練習をひたすら見るだけ。「テングになっている」「野球に取り組む姿勢がなっていない」選手などに課せられるこの罰を、当時、帝京では〝タッシー〟と呼んでいた。

「だからグラウンドでの全体練習が終わった後にティー打撃をするしかなくて。そんな毎日をひたすら続けていたら、ある日、監督に『明日から練習に入れ』と言われて。うれしかったなあ」(西村)

 その観点でいけば6月の猛練習でチームを去った3年生は、応えられなかった選手ということになる。実は3年生の優勝メンバーの1人である吉野直樹もチームを去った一人だったが「あいつは優しいヤツで、反発した選手に友人につき合ったみたいな感じだった」(田村)。そのため、離脱した後に復帰したい気持ちが強くなり、1人、ウェイトルームでトレーニングをしていたという。その姿を見て、田村ら残った3年生が吉野の復帰を前田監督に直訴。前田監督は吉野に「夏の東東京大会の初戦を応援団長として全うできれば復帰を認める」と告げ、吉野も了承。背番号6をつけてスタンドで仲間を鼓舞。次戦からはベンチ入りとなった。

「高校時代は、そんなふうに、ずっと監督と勝負をしていた感じでした」(田村)。

「〝タッシー〟やっていたときもそうですよ。『もういいや』って諦めた時点で自分の負け。絶対、監督に負けたくないという気持ちで」(西村)

「だからレギュラーが離脱して夏どうするんだ、とかも全く考える余裕がなかったです。もう自分のポジションを守る、生き残ることで精一杯」(田村)

「逆に2年生はチャンスだと思っただろうね。3年生が次々にいなくなるんだから」(西村)

「甲子園も優勝目指すとは言っていたけど、自分たちとしては目の前の一つひとつの試合を勝とう、みたいな感じでした」(本家)

「勝てるというよりも、これだけやって負けるわけにはいかない、負けたら自分たちの苦労はなんだったんだ、みたいな」(西村)

「確かに勝てるというより負けちゃいけない、という気持ちだったかもしれない」(田村)

「実際、そんなに負ける気はしなかったし」(本家)

 この大会、帝京は東東京大会序盤で投手を投げさせたいがためにコールド勝利を回避しようとしたり、優勝の立役者となった2年生右腕・白木隆之と本家の小刻みな継投、クロスプレーでの接触などが過度な勝利至上主義と受け取られ、巡り合わせの悪さもあってヒール的視線にさらされた。しかし、3人は「そんなの気にする余裕もなかった」と口を揃える。
「試合後の取材で、そういった面を煽りたい、言わせたいんだな、と感じる質問はあったので、乗らないようにはしていましたけど」(田村)

抜擢され、干され、再びレギュラーとなって甲子園優勝と、アップダウンが激しかった西村。「ある意味で、僕は監督に一番見てもらったのかもしれない」と振り返る。

シリーズ・黄金時代② 帝京 激しすぎたチーム内での戦い【3】