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Future Heroes

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童心と知性を兼ね備えた技巧派左腕 田中誠也(立教大4年)【Future Heroes vol.14】

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 野球少年をそのまま大学生にしたようなひたむきさと、歴戦の激闘をくぐり抜けてきた類い稀な投球術で、今や東京六大学野球を代表する投手の1人となった田中誠也。 その根底にある野球観や今後の抱負を聞いた。

田中誠也(たなか・せいや)・・1997年10月27日生まれ。大阪府大東市出身。四条北ヤンキース(軟式)→生駒ボーイズ(硬式)→大阪桐蔭→立教大4年。173cm68kg。左投左打。

田中誠也(たなか・せいや)・・1997年10月27日生まれ。大阪府大東市出身。四条北ヤンキース(軟式)→生駒ボーイズ(硬式)→大阪桐蔭→立教大4年。173cm68kg。左投左打。


★大阪桐蔭で築いた投球スタイル

 大きな武器は、テンポの良さや巧みな投球術が光るマウンドさばきだ。球速が140キロにも満たないことはしばしばあるが、それでもコーナーを丹念に突き、相手に考える間を与えないほどの速さで次の投球動作に入り、緩急も自在に操る。

 こうしたスタイルが高校時代から形成されており、2年夏には甲子園で2試合に先発して全国制覇に貢献すると、3年春はエースとしてチームを甲子園4強にまで導いた。

 当時を知る大阪桐蔭の石田寿也コーチは下級生時代の経験が、現在の投球スタイルを生み出したと語る。中学時代は強豪・生駒ボーイズのエースとして活躍。完全試合やノーヒットノーランも達成するほど圧倒することもあったが、高校入学後の実戦練習では、森友哉(西武)ら先輩たちにめった打ちにされたという。

 その屈辱が負けず嫌いの性格に火がつけさせ、「“どうやったら抑えられるのか”とテクニックを磨き、打者に向かっていく気持ちが大切だと感じたんだと思います」と石田コーチは振り返る。
 
 最後の夏こそ甲子園出場を逃したが「レベルの高いところで野球がしたい」と東京六大学野球連盟の立教大に進学した。そして2年春には、エースとしてチームを59年ぶりの全日本大学野球選手権優勝に導いた。
 さらに3年春には6勝を挙げて、侍ジャパン大学代表にも選出。日米大学野球とハーレム国際大会に出場した。

★信念を貫き、さらなる高みを

「コンディション良く、1シーズン投げ切れたことが良かったです」
 今春のリーグ戦を終えて率直に明かしたのは、昨秋が悔しさやもどかしさに満ちたシーズンとなったからだ。

 左肘の状態が本調子ではなく0勝3敗で、まさかの勝ち星無しに終わった。田中自身としては「チームに貢献できる」という思いから登板を続けていたが結果は伴わなかった。

 そのため冬場は慎重に調整を進め、下半身のウェイトトレーニングや食事・プロテインの計画的な摂取で約6キロの増量に成功した。すると、今春は全校で唯一明大に土をつける完封を1回戦で見せるなど、先発した7試合中6試合を自責点2点以内に抑える抜群の安定感を見せて、防御率は1.80。早慶戦を残した段階でリーグトップの成績を残している。

 また、3アウトを取った後にバックを守る野手全員を迎えて声をかけてからベンチに下がり、降板後もベンチの最前列から大きな声で味方を鼓舞し続ける姿は最上級生になってからも変わることはない。

 卒業後の進路は社会人野球で腕を磨くことに決めた。当然プロ野球の世界に憧れは持ち続けているが、「まだ実力不足。背伸びするのではなく一歩ずつ段階を踏んでいきたいです」ときっぱりと語る。そしてそれは「長く野球を続けることが1番の幸せ」という信念があるからだ。そのためにも「どん欲にやっていきたいです」と向上心も忘れることはない。

 マウンド上では気迫あふれる投球で観る者を魅了し、取材後はどんな時でも記者一人ひとりに向かって「ありがとうございました。またお願いします!」と声をかける好青年。そんな田中の姿を1年でも長く見ていたい。

得点時や勝利時に喜びを露わにする田中

得点時や勝利時に喜びを露わにする田中


文・写真=高木遊