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プロ野球

■『マスクの窓から野球を見れば』
田中正義を送り出す創価大・岸監督。
「割と軽く考えてピッチャーにした」

安倍昌彦=文
photograph by Kyodo News

抽選でソフトバンクが交渉権を獲得した田中正義。投手としてはまだキャリア4年、どこまで伸びるのだろうか。右端が岸監督。

抽選でソフトバンクが交渉権を獲得した田中正義。
投手としてはまだキャリア4年、どこまで伸びるのだろうか。右端が岸監督。

「あっという間だよねぇ……。ほんと、いろんなことがあった4年間ですよ」
 監督・岸雅司のよく陽に焼けた温顔がほほえんでいる。
 手塩にかけた4年間。投手・田中正義、そして池田隆英がまもなく学窓を巣立ち、プロ野球に進む。
 田中正義、福岡ソフトバンクホークス1位。
 日本ハム、千葉ロッテ、巨人、広島を含めた5球団の1位入札の末、ソフトバンクが抽選で2016ドラフトの目玉を射止めた。
 池田隆英、東北楽天ゴールデンイーグルス2位。
 前評判では1位指名の候補にも挙げられたが、2位のあたまから3人目。全体で15人目の上位指名で、田中正義と同じパ・リーグの楽天に進む。
「正義と初めて話をしたのは、高3の夏だったかな。創価高の生徒だけの練習会があってね。高校ではセンターを守っていて、正直、野手としては魅力はなかったのよ、バッティングも粗っぽかったしね。でも本人と話すと『僕、ピッチャーなんです』ってね。じゃあ、ピッチャーやったら? って、割と軽く考えてピッチャーにしたんですよ。欲しかったのは、エースの池田隆英のほうだったからね」

■投げたくてウズウズしていたピッチャー顔の18歳。

 岸監督がいうには、選手には“ピッチャー顔”と“野手顔”があるという
 できればもう1つ、“捕手顔”というやつも仲間に入れていただければ。
 地味な顔立ち、ジャガイモ系でも目だけがキラリと賢く光っている。かつては、西武・伊東勤(現千葉ロッテ監督)に横浜・谷繁元伸(元中日監督)、今の捕手なら、西武・炭谷銀仁朗にヤクルト・中村悠平。
 とても共感できる話である。
「ピッチャー顔だ! って思ってね、正義の顔見てて。本人はウズウズしてたんだろうね、投げたくて。うれしそうにしてましたよ。そこから、そうだねぇ、もう4年か……」
 監督の視線が、ブルペンで投げる田中正義の姿から、グラウンドの外野の向こうへ飛んでいった。

■返球がスタンドに飛び込んだ肩が忘れられない。

「その時言ったんですよ、正義に。もうバットは持たなくていいから、ランニングと体幹鍛えて、キャッチボールでもう一度肩を作っておいてくれって」
 高校の時の田中正義はずっと右肩を痛めていて、実戦ではほとんど投げていない。
 その代わり、抜群の身体能力の強肩でセンターを守って4番を打ち、最後の夏の予選で神宮球場の左中間上段に放り込んだ大アーチを、私はたまたま目撃している。
 しかし強烈な印象として残っているのは、シートノックで三塁に返球したボールがぐんぐん伸びて、伸びっぱなしのまま三塁側のスタンドに飛び込んだその記憶のほうだ。
 とんでもない猛肩。さらに、均整抜群の体躯に豪快な腕の振り。なんでピッチャーやらないのだろう……不思議に思ったものだ。
「とにかく野球のことしか考えてないから、正義は。休みの日も練習してるし、寮でのんびりしてるのなんて見たことない。ジム通いも欠かさないしね。もう立派なプロ意識ですよ、僕はそう思うね」
 寮ではもちろん食事が出されるが、それ以外に、お母さん手作りの惣菜が冷凍パックで送られてきて、田中正義の体作りの強力なバックアップをしてきた。

■「正義はスナック菓子なんて、絶対食べない」

「ときどき選手たちをウチに呼ぶのよ、いろんな話をしたいんでね」
 ウチ。
 岸監督のご自宅は、実は選手たちが生活をする「光球寮」の中にある。
 初めて寮にうかがった時、玄関を上がったすぐ右のトビラに「岸雅司・城子」の表札がかかっていて、とてもびっくりしたものだ。
「来てくれれば、お茶も出して、お茶菓子も出してね。でも正義は食べない。スナック菓子なんて、絶対食べない。体にいいものはドンドン入れるけど、そうじゃないものは入れない。徹底してるのね。小川(泰弘・現ヤクルト)も食生活にはストイックだったけど、正義ほど徹底的にこだわる子は今までいなかったね。お腹がすいた状態でトレーニングやっても筋肉はつかない……って情報があると、練習中に、おにぎりとかゆで卵とか入れて。それで、トレーニングでどんどん体が大きくなっていってね」

■大学で投手を始めて、まだ伸びしろのかたまり。

 まだ大きくなると、岸監督はいう。
 体が大きくなっていくほど、野球もレベルアップしていける。そういうタイプの選手だとも言う。
「高校の時、ほとんど投げてないでしょ。大学から投手を始めて2年の春でブレークして、そこからずっとエース格で投げてきてるから、どうしても“調整”中心できてるでしょ。追い込んだ走りこみとか、投げ込みとか、本当の意味での強化練習をあんまりやってない。今年も、その強化をやろうとしていた時期に肩を痛めたり、夏になって太ももの肉離れをやっちゃって、秋のリーグ戦に備えた走り込みができなかったり。そういう意味では、歴史が始まったばっかりのピッチャーですよ、正義は。いってみれば、伸びしろのかたまりみたいな……ね」

■完成形が見たかった。それも創価大のユニフォームで。

 まだ手放したくないでしょ? と訊いたら、「そうだねぇ」と、珍しくちょっと下を向いてしまった。
「正直、もう1年……って気持ちはあるけど、来年の今ごろになったら、また、もう1年…なんて言ってるんだろうね、きっと。キリがない、正義がオジサンになっちゃうよ」
 ただね、ただ1つだけ心残りがあるとすれば、と前置きして、そこからウーンとしばらく考えて、一言。
「完成形が見たかったって思いはあるね。それも、創価大のユニフォーム姿でね」
 みんなに注目されて、みんなに大きな期待をかけられ続けた4年間。
 すごい、すごいと言われながら、故障もあってほんとにすごいとこ、ほとんど見せられなかった4年目の今年。
 毎日をすぐそばで暮らしながら、悩みも、迷いも喜びも、ぜんぶ見てきた田中正義が、まもなく手元から離れていく。
 その一部始終を見つめ続けた監督・岸雅司もまた、懸命に前を見ようとしている。
 学生野球の“秋”の景色である。