- 大学野球
2017.05.04 18:19
浪人、イップス、コーチ転身…苦難の道を経てたどり着いた憧れのマウンド 庭田草志(明治大)
開幕週の明治大vs東京大2回戦(4月9日)、13対0と大差のついた9回裏。1人の投手が明治大のマウンドに向かい、1イニングを無失点に抑えて試合を締めた。端から見れば、試合の大勢には影響のない数分の出来事だったが、その投手の人生にとって、そしてチームにとって大きな意味を持つ投球だった。
★浪人の末、一般受験で合格
リーグ戦初登板を果たした明治大・庭田草志の生年月日は1994年4月14日。同学年の4年生選手よりも1年早く生まれている。松戸国際高校では3年春にエースとして千葉大会を準優勝し、関東大会にチームを導いた。最後の夏は甲子園に出場した木更津総合に準決勝で敗れ、甲子園出場はならなかった。
県内では好投手として名が通っていたため、いくつかの大学から声がかかった。だが、庭田は首を縦に振ることはなく、以前から憧れていた東京六大学野球のマウンドを目指し、東京大を除く私学5校を受験した。だが結果は不合格で、庭田は浪人を決めた。
浪人期間中、体を動かすのは予備校への自転車くらいで、毎日13時間机に向かった。幼い頃から勉学も疎かにしていなかったとはいえ、大好きな野球をできず猛勉強を重ねる日々は「野球と違って伸びた分が見えるので、それはそれで良かったですけど…ただただ辛かったです」と振り返る。
そんな猛勉強の成果もあり、翌春の受験では名門私立大学に軒並み合格を果たし、「合格校の中で学力が最も高く、野球も一番強かったので」と明治大野球部の門を叩いた。
★仲間の気遣い、原因不明の制球難
もちろん1年以上のブランクは庭田の体力を大きく落としていたが、当時の明治大野球部で浪人を経た選手は4学年でも庭田のみだったこともあり、「だからこそ、やってやろうという気持ちでした」と、反骨心が庭田の体を動かした。
また、1歳年下の同期、同い年の先輩との関係も良好に馴染むことができた。
「最初は1学年上の先輩たちが“敬語じゃなくていいよ”と言ってくれたのですが、やっぱり自分がケジメをつけたかったので“敬語使います”と言いました。同期にも“敬語じゃなくて普通に同期として接してくれ”と言いました」
仲間たちの温かい心遣いもあった。入学から数週間経った4月14日には、中野速人現主将(4年・桐光学園)ら同期の1年生たちがサプライズでバースデーケーキを購入し祝ってくれた。
2年生の時に同部屋となった1学年上の星知弥(現ヤクルト)は、頻繁に練習に付き合ってくれ、的確なアドバイスをくれた。
2年春にはベンチ入りも経験。憧れのマウンドまでは、あと一歩のように思えた。しかし、そこからがまた苦難の道だった。徐々に制球が荒れ始め、3年の最初の頃になると投げ方さえ分からなくなるイップスに陥った。
焦る日々、応援席から仲間たちの試合を見ていても素直に応援できないこともあった。それでも、浪人を選んでまで、憧れたマウンドに立つため、歩みは止めなかった。
「何かを変えないといけない」と体重を10kg増やしたり、ひたすらウェイトトレーニングを行ったり、根拠はなくても必死にもがいた。
「自分はひたすら丁寧にやる。やりきれることは全てやりきってきました。ポール間走は4年間全部手を抜かずに走りきったと自信を持って言えます」
好きな言葉は名前の由来にもなっている「草分けを志す」。「一歩目を踏み出すとか挑戦し続けるという意味で好きな言葉です」(庭田)
★「神宮のマウンドを諦めていいのか?」
そんな不屈の精神や試行錯誤の甲斐もあり、徐々に感覚を取り戻してきた庭田だったが、最高学年を迎えるにあたり新たな難題が生まれた。
例年は新チーム始動時に最上級生の選手から学生コーチへの転身者を決めるのだが、現4年生たちはもともとの人数が少ないことに加え、現役を継続したい選手が多く、2月のキャンプ前まで、なり手がいなかった。
だが2月に「日本一を穫るには誰かがならないといけないですし、主将の中野もすごく頑張っていたので」と庭田が手を挙げた。
もちろんそれは選手としての現役生活を、憧れた神宮球場のマウンドに上がる夢を捨てることだった。
ただ、そんな庭田の思いを汲み取ったのが、これまで庭田の努力を見つめてきた善波達也監督だった。
「神宮のマウンドを諦めていいのか?まだやりたいんじゃないか?」と、背中を押してくれ、庭田は学生コーチ兼任という形で現役を続けることとなった。
そして、運命の日は訪れた。4月9日の東京大戦。6回に善波監督から「このままの展開なら行くぞ」と伝えられた。そして、9回裏、庭田の名前が神宮球場にコールされた。
「率直に楽しかったです。今思うと一瞬でした。ブルペンからワクワクしていて緊張もなく楽しめました。いつもは緊張するタイプなのですが、あの日は楽しもうと自分に言い聞かせて楽しむことができました」
結果は1四球を与えたのみで無失点。三振も2つ奪った。充実感に加え、多くの祝福のメッセージも庭田のもとに届き「野球やっていて一番を争うくらい幸せな気持ちになりました」と満面の笑みで振り返る。
また兄貴分の星からは「良かったな。まだここで終わるなよ」と、今後の奮起も促された。もちろん、庭田もこの登板をゴールにするつもりは毛頭ない。
「これからもっと状態を上げて、もっとポジティブな場面で“ここは庭田だ”と思ってもらえることを目標にしています」
また、そんな庭田の姿がチームに与える影響は大きいと善波監督は話す。
「自分の努力もできるし、学生コーチとしてもチームのことを考えられる。庭田によって、チーム全員が神宮球場での活躍や勝利を目指していくことができます」
現在は、パイロットを第一志望とする就職活動も続けながら、学生コーチ兼任選手として汗を流す。
「指示する立場にいても、ちゃんとやっている人でなければ説得力はないと思うので、まずは自分が100%やりきることです。どんな形でもいいので日本一に貢献したいです」
庭田の奮闘と献身が、明治大の秋春連続日本一に向けた挑戦を後押ししている。
文・写真=高木遊
投球写真提供=明治大硬式野球部