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高校野球

令和元年の夏が始まった 変わり種監督、特色のある校名の誉で開幕【第101回全国高校野球選手権大会第1日】

八戸学院光星に敗れ、応援席へあいさつに向かう誉ナイン=甲子園

写真提供=共同通信 八戸学院光星に敗れ、応援席へあいさつに向かう誉ナイン=甲子園

誉。
 小牧市にある、ほまれ高校のことだ。
2009年、学校として再スタートを切った。制服なども一新され、校名も変更された。学校理事長がひらめく。漢字一文字の校名にしたい。
在校生、卒業生が誇れる校名で、生徒一人一人の大きな力が集まって誉れとなれ。そんな思いが込められた。

 校名が特徴的なら、矢幡真也監督も変わり種だ。
 岐阜の美濃加茂高校で90年の夏に左腕投手として甲子園に出場した。その後、朝日大から河上薬品、阿部企業の社会人野球で活躍。出身地の犬山市に戻って家業の家電製品販売業を今も営む。

 実績を買われてまず、犬山南高校でコーチをして、初戦敗退が続いていた同校を就任2年目に夏の6回戦まで導いた。そして仕事で出入りしたことが縁で06年春、尾関学園のコーチを経て監督に就任した。

 当初は部員不足で、けが人が出てゲーム途中で棄権したこともあったという。
 そこから学校の方針、「甲子園10年計画」もスタートする。12年、15年には夏の最高成績となるベスト8入り。そしてついに初出場を果たした。

 監督はいわゆる、街の電気屋さんだ。
野球に集中したい時には練習開始前の朝7時に仕事をしたり、逆に「野球で忙しそうだから今回は(電気屋の)注文をやめておきました」とお客さんに言われたこともあるとか。「気を使っていただいてるんだろうけれども、注文はしてほしい」と冗談っぽく笑う。

 背番号「1」を背負う山口怜生(3年)は寮生だ。
「寮で電球が切れたりすると、監督を呼んで換えてもらいます。電気屋さんなんだとあらてめて思います」

 岩崎由弥内野手(3年)は自立した練習を積んできたという。
「監督は仕事で途中で抜けたりします。でも監督が見てないところでも、自分たちで頭を使って一生懸命にやってきたので、甲子園に来れたと思う」

 電気屋監督は料理もする。「スポーツフードスペシャリスト」の資格をとって、毎日、朝練をする選手のために豚汁を作るという。愛知県大会の決勝も午前4時に起きて勝負飯を食べて決戦に臨んだ。

 校名、監督が異色なら、ユニフォームもスペシャルだ。
 安陽希部長がいう。
「一昨年の秋の大会から変えました。ストッキングのオレンジは目立つため、にです。神戸国際大付高校を参考にしました。ユニフォームの全体のクリーム色は星稜高校さんを。強そうだからです」。胸の文字もカラフルに縁取りがある。この日、応援団はオレンジの帽子をかぶっていた。
「野球部のオレンジが浸透してきて、応援団も同じ色を揃えてくれたんです」と部長は喜ぶ。

 昨年春の県大会で優勝して自信をつけた。その時のメンバーが4人残って全国一の激戦区、188校の愛知県を勝ち抜いた。

 さて、開幕ゲーム。
「甲子園経験者の監督からは甲子園は楽しめと。楽しめなかったらいいプレーができないとアドバイスをもらっていました」(山口)
 しかし、初出場には難しかった。

 初回、先発の杉本恭一(3年)が先頭打者にいきなり死球を与えて、落ち着かない。犠打、四球と続いて5番に2つ目の死球でベースが埋まる。7番の光星学院八戸の7番・下山昂大(3年)にスライダーを狙い撃ちされて満塁本塁打を浴びてしまった。

「いつもの杉本ではなかった。左打者の外を狙っているのに内角に入って来たボールがデッドボール。精神的なコントロールができてなかった。愛知大会はそういう場面も切り抜けてきたんです。抑えられると祈るだけでしたが、あれがフェンスを超えていくのが甲子園というとところかなと痛感しました」
 矢幡監督は杉本を思いやった。

 さすがに常連校、と監督は何度も思ったという。光星は手を緩めてくれず、着々と追加点を許し、9対0の大差で敗れた。
「開幕試合なのか初出場なのかプレッシャーがあって自信に満ち溢れたいプレーとは違った。監督の経験不足もあり、勝利に導いてあげられなかった」

 内田力斗三塁手(3年)は「甲子園は楽しかったです。(東邦の友情応援など)味方の声援が多かった。主将の選手宣誓、井端さんの始球式と特別な夏でした」と笑顔だった。

「ありきたりですが、選手には”ありがとう”しかないですね。苦しい試合を乗り越えてくれて、こちら側の監督、コーチがいい思いをさせてもらった。1勝をあげるにはまだまだ、やることばかり。早く帰って練習しろ、出直してこいと言ってもらってるのだと思います」
 監督はすでに、次を見据えていた。

 林山侑樹主将が選手宣誓をした。
『令和の新しい時代が始まりました。101回、記憶に残る大会にします』
 誉の記憶が最初の試合で刻まれた。
さあ後、47試合の記憶が刻まれる。

文・清水岳