BASEBALL GATE

大学野球

飯田晴海 原樹理以来の投手主将として東洋大の名門復活目指す

飯田晴海(いいだ・はるみ)・・・茨城県稲敷郡茎崎町(現つくば市)出身。小:茎崎ファイターズ(軟式)→中:高崎中(軟式)→高:常総学院→東洋大4年。175cm77kg。右投右打。

★最終学年に集大成
 茎崎第一小時代は茎崎ファイターズのエースとして県内無敵を誇り、小学5・6年時に全国大会に出場。高崎中時代は県南選抜として夏に全国優勝、その秋のKボール全国大会ではオール茨城の一員としても全国優勝を果たした。常総学院高でも3度甲子園に出場し、3年夏には8強に導き、高校日本代表にも選出された。
 そんなアマチュア野球界のエリート街道を歩んできた飯田だが、東洋大では3年春までリーグ戦通算2勝に終わっていた。高校1年の時に痛めた右肩の関節唇をそれまでは保存療法としていたが、将来を見据え、大学2年時にクリーニング手術を決断した。その後は、地道にリハビリを重ねたがリーグ戦での登板は翌年の5月まで遠ざかった。
 それでも秋季リーグでは、チームトップの4勝を挙げ、チームをリーグ戦終盤まで優勝争いに導いた。一方で、最後は日本大にサヨナラ負けし、マウンド上で優勝の歓喜を見せつけられる屈辱を味わった。
「1シーズン通して投げられたことは大きなことでしたが、大一番で抑えられなかった技術面や精神面も含めて悔しいシーズンでした」と飯田は振り返る。その悔しさや、東洋大・高橋昭雄監督から教わった「人間力が野球の技術を高める」という言葉を大切にし「最終学年に集大成を見せて、下の学年に伝えていきたいです」と意気込んでいる。

★2年前に見つめていた原樹理の背中
 集大成を懸ける今年、エースという役割に加えて主将の重責も担う。東洋大で投手が主将を務めるのは2年前に1部復帰にチームを導いた原樹理(現ヤクルト)以来となる。
 飯田はその2年前に、原と同部屋で生活を共にしていた。
「例えば野球中継を見ていても、自分にはない視点で見ていました。良いものはすぐ自分のものにしようとしていたり、野球に対しての努力を怠るようなことは一切ありませんでした」と多くのことを学んだ。

 この冬は、スタミナ強化をテーマに投げ込みや走り込みを行った。また主将就任にあたり、原から「自分の色を持って、それをチームに出せればいい」と伝えられ、カラーの出し方については「取り組む姿勢で、日頃から背中で引っ張るようにしています」と、原の姿を踏襲していくつもりだ。
 名門復活の期待高まる中で、大黒柱がどんな輝きを放つのか。集大成となるシーズンが始まる。

文・写真=高木遊