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プエルトリコ野球 アメリカであってアメリカでない独自の歴史を持つ島【WORLD BASEBALL vol.11】

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 強豪ドミニカには決勝で敗れたものの、2013年WBCにおいて準決勝で日本を破り、一躍世界の野球シーンでその存在を知らしめたプエルトリコ。

 その政治的地位は「アメリカ合衆国自治領」だが、島民は独自のアイデンティティをもち、オリンピックの際はアメリカ本国とは別に選手団を派遣するなど、スポーツの世界では半ば「独立国」扱いされている。
 
 東西冷戦時、西側諸国が参加を軒並みボイコットしたモスクワオリンピックにおいて、本国の意向に反して参加したことは有名だ。

故郷アグアディージャの球場前に立つプエルトリカンリーグ最多の1206安打を記録したルイス・マルケスの像

故郷アグアディージャの球場前に立つプエルトリカンリーグ最多の1206安打を記録したルイス・マルケスの像



 カリブ海に浮かぶこの島には、スペイン領であった19世紀の後半にはすでに野球が伝わっていたと言われている。1897年にはクラブチームによる最初の本格的な試合が行われている。米西戦争の結果1898年にアメリカ領となると、野球はますます盛んとなった。
 
 現在に連なるウィンターリーグがセミ・プロリーグとして発足したのは1938年。

 このシーズン途中からセナードス・デ・サンファンを若干22歳で率いたヒラム・ビソンは1942年、最初のプエルトリカン・メジャーリーガーとしてシカゴ・カブスのマウンドに立った。翌43年には、最初のプエルトリカンの野手としてルイス・オルモがブルックリン・ドジャースでデビュー。

 カラーバリア撤廃後の1951年には、プエルトリカン・リーグ最多の1206安打を記録しているルイス・マルケスがアフリカ系プエルトリカンとして初めてボストン・ブレーブスでメジャーデビューを果たしている。彼ら3人の英雄の名は、それぞれ彼らの出生地であるサンファン、アレシボ、アグアディージャのスタジアムの名に冠されている。

アレシボの球場にはこの町の英雄ルイス・オルモの名が冠されている。現在は消滅してしまったが、この町のチーム、ロボスには、日本人メジャーリーガー、マック鈴木も在籍していた。

アレシボの球場にはこの町の英雄ルイス・オルモの名が冠されている。現在は消滅してしまったが、この町のチーム、ロボスには、日本人メジャーリーガー、マック鈴木も在籍していた。



 プエルトリカン・リーグは1941-42年シーズンから本格的なプロリーグに移行、ウィンターリーグのチャンピオンを決めるカリビアンシリーズには1949年の第1回大会から参加し、以来ドミニカに次ぐ16回の優勝を誇っている。

 中でも1950年代には1953年から55年の3連覇を含む4度の優勝を飾り、当時カリブ野球の中心であったキューバと覇権争いを演じていた。

 中でも、1955年大会を制したルイス・オルモ率いるカングレヘーロス・デ・サントゥルセは、プエルトリコ野球史最高のチームとされる。

 このチームには、メジャーデビューを控えたプエルトリコ野球の最大の英雄、ロベルト・クレメンテや前年のメジャーリーグにおいてニューヨーク・ジャイアンツをワールドチャンピオンに導き、ナショナルリーグMVPに輝いたウィリー・メイズが参加するなど現在のウィンターリーグでは考えられない豪華布陣を擁していた。

 このチームに匹敵するとされるチームが、1995年大会に出場したセナードス・デ・サンファンである。

 ロベルト・アロマー、カルロス・バエルガ、バーニー・ウィリアムス、フアン・ゴンザレス、エドガー・マルチネスらメジャーリーグの主力で固めたこのチームは、6勝無敗で地元開催のシリーズを制した。

 しかし、2000年代に入ると、プエルトリコ野球は低迷期を迎える。この年代のカリビアンシリーズ優勝はゼロ。カリビアンチャンピオンの座がプエルトリコに帰ってくるのは、2017,18年のクリオージョス・デ・カグアスの連覇まで待たねばならなかった。

 次回は、このプエルトリコ野球衰退の背景と本国アメリカのかかわりを中心に、プエルトリカンリーグについて紹介していきたいと思う。

文・写真=阿佐智

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