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左投げへの転向を経て通算100安打に挑む不屈の安打製造機 杉野翔梧(京都産業大4年)【Future Heroes vol.11】

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 大学野球ではリーグ戦通算100安打が一つの節目となる大記録だ。この偉業に挑んでいるのが京都産業大の杉野翔梧だ。関西六大学リーグを代表する安打製造機でこれまでに通算88安打を放っており(5月6日現在)、秋には100安打到達が期待されている。


杉野翔梧(すぎの・しょうご)・・・1997年8月3日生まれ。大阪府東大阪市出身。東大阪布施ボーイズ(硬式)→近江高→京都産業大学4年。171㎝74㎏。左投左打。外野手。


 近江高時代の3年春には甲子園に出場し、2回戦で高橋純平(現ソフトバンク)を擁する県岐阜商と対戦。後にドラフト1位でプロ入りする右腕を相手にチームは3安打完封負けを喫したが、杉野は2安打を放って非凡な打力を発揮した。

 京都産業大に入学すると、打撃センスの高さを買われて1年春からレギュラーに定着。秋にはリーグ2位の打率.415を記録してベストナインと平古場賞(新人賞)を受賞した。打撃では順調なスタートを切った一方で悩まされてきたのが右肘の故障だ。

 1年生の秋に疲労骨折した際は指名打者で出場しながら自然治癒で対処したが、2年生の冬に再び疲労骨折。手術をしたことで投げられる状態にはなったが、「骨がボロボロだったので、これ以上投げ続けたらまた怪我をするかもしれない」という不安があった。さらに肘の痛みが打撃にも悪影響が出ていたことで、手術を機に右投げから左投げに転向するという一大決心を行った。

 京都産業大での指導が20年目となる勝村法彦監督にとっても歴代の教え子で利き腕を変更する選手は杉野が初めて。それでも「一度投げさせてみたら30mくらいはスッと投げていた」(勝村監督)と左投げのセンスがあり、春のリーグ戦まで5ヵ月の準備期間があったことも杉野の左投げ挑戦を後押しした。

 小学4年生で野球を始めた頃は右打ちだった杉野にとって、それまで左利きの生活とは無縁。箸を左手で持ちながら小豆を掴むトレーニングを行うなど野球以外でも左利きに慣れるための努力を怠らなかった。

 練習の成果もあり、現在は左投げでも70mを投げられるようになったが、不安を感じていたのは投げることよりも捕ることだった。10年間も左手でボールを捕る習慣がついていたため、ライナーが飛んできた時には本能的に右手よりも左手が先に出ることがあり、「練習中に何度も当たりかけました」と苦笑いする。それでも入念な準備を重ねてきたことで3年の春にはレフトの守備を無難にこなせるようになっていた。

 故障が原因で右投げから左投げに転向した選手といえば漫画「MAJOR」の主人公・茂野五郎が有名だが、本人は「よく茂野五郎と言われますが、あんなにエグくはないので」と謙遜して笑う。杉野の活躍は肩や肘を故障して野球を断念しようとしている選手の希望にもなるだろう。そんな選手たちにもメッセージを送ってくれた。

 「諦めないこと、挑戦することは無限大。可能性がある限りは挑戦する気持ちが大切だと思いました。右投げを続けていたら、また怪我をしてバッティングができているかわからない状態だったと思うので、諦めずに新しいことに挑戦する気持ちがあってここまで来られたと思います」

 手術をする前は「野球ができないんじゃないか」という選手生命の不安を感じながらも、不屈の精神で安打を積み重ねてきた杉野。故障を乗り越えて金字塔を打ち立てる日が待ち遠しい。

文・写真=馬場遼