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【センバツ2017】名将・永田裕治監督(報徳学園)が「いつも通り」に臨む最後の甲子園

★甲子園通算20勝の名将

 名門を23年間率いてきた永田裕治監督がこの春限りで勇退を表明したのは、センバツ出場校が発表された1月27日だった。これまで春夏通算で甲子園20勝を挙げた兵庫県きっての名将がユニホームを脱ぐ最後の甲子園。だが、センバツを控えた練習試合ではそんな湿っぽい雰囲気は微塵もない。
「まだまだですね。本番までに修正しないといけない課題がたくさんある」。
 永田監督は、ミスが目立った練習試合の最中にベンチ前での円陣でいつもと変わらず大きな声でゲキを飛ばしていた。初戦が大会2日目、対戦相手が多治見高と組み合わせも決まり、いよいよという空気が選手たちを包み込んでいた。
 永田監督は、報徳学園3年の夏に右翼手として甲子園優勝。2002年のセンバツでは監督としてエース大谷智久(現ロッテ)を擁し、母校を全国優勝に導いた。
 監督になって初めて甲子園に出場したのは1995年のセンバツ。1995年といえば阪神淡路大震災に見舞われた年だ。自身も被災しながらチームを率いた甲子園で、記念すべき甲子園1勝を挙げた。今でも当時のことを思い出すと、込み上げてくるものがあるという。
 以降、1997年春から4季連続出場するなど、1990年代に一時は甲子園から遠ざかっていたチームを再び甲子園常連校に育て上げた。甲子園でなかなか勝てない時期もあったが、2008年夏、2009年春、2010年夏と3年連続で甲子園ベスト8以上に進出した。プロの世界へも多くの人材を輩出し、毎年1月3日に開催するOB会には毎年多くの教え子が集まっている。

★1日でも長く全員野球を

 年齢は現在53歳。指導者としても最も脂ののった時期かとは思うが、“勇退”を考えるようになったのは50歳を過ぎたあたりだった。理由は幾つかあるが、最も自身の背中を押したのは世代交代だった。
 現在、報徳学園には大角健二部長、磯野剛徳コーチ、宮崎翔コーチと3人の指導スタッフがいるが、3人共永田監督の教え子だ。「大角はコーチ時代も合わせると指導して10年以上になる。もう、若い指導者に指導の中心になってもらってもいいのでは」と考えるようになった。
 そのため、最高のチーム状態で次期監督に就任する大角部長にバトンタッチしたいと思っている。現在、下級生に力のある選手も多く「来年以降のチームも楽しみ」と永田監督。だが、自身の“最後の甲子園”という雰囲気にチームが囚われて欲しくないとも話す。
 岡本蒼主将は言う。
「永田先生(監督)が最後だから、というのはありますが、だからこそいつも通りの雰囲気で戦いたいと思っています。そのためには永田先生に教えていただいた“全員野球”で試合をしていきたいです。プレッシャーはありますが、どんな状況でも積極的なプレーを忘れずに、まずは目の前の試合を戦いたいです」
 普段通りに、思い切ったプレーで————。選手たちも、大舞台の雰囲気を味わいながら永田監督と共に1日でも長くプレーすることを心の底から望んでいる。

文・写真=沢井史