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シニアからの和と化学反応 札幌大谷、1点及ばす【第91回選抜高等学校野球大会】

明豊―札幌大谷  明豊に敗れ、応援席にあいさつに向かう札幌大谷ナイン=甲子園 【写真提供=共同通信】


 札幌大谷の最大の特徴は札幌大谷中学と連動して独特な強化をしている点だ。
遡れは1906年に創立された北海女学校が起源で、道内の女学校の草分だった。2009年に共学になって、今は系列の幼稚園、中学校、短大、大学がある総合学園だ。野球部は共学化と同時に創部された。

 その中学にリトルシニア連盟所属で北海道唯一の硬式野球部があって、部員のほぼ半数がそこからの内部進学者なのだ。
 3年生はシニアの全国大会でベスト8に残る実力のある代。創部10年、中学からの進学者が一番、多い代でもある。背番号1の西原健太、主将で捕手の飯田柊哉、4番・石鳥亮外野手らがシニアでも主力だった。

「今の3年生が中学3年の時に高校の練習にやってきて、入学前から技量や状態を確認できる。下級生の時からどういう戦力でチームが構成できるかわかるんです。入学の4月、すぐに1年生でレギュラーという子もいました。中3で高校の強化ができるわけです」
船尾隆広監督がメリットを解説してくれた。

 中学のシニアの公式戦が3年生の8月に終わると、9月から高校の練習に参加する。公式戦の雰囲気を含め、他校より半年早く高校野球を経験できるのだ。また系列大学、中学の専用グラウンドなど練習施設が同じ敷地内にあって調整使用ができたり、大学の監督に技術指導を受けることもできて、ヨコの連携は日常的にあるようだ。また、小学生を中学入学時に勧誘できる利点もある。

 一貫教育で生まれた信頼感の強さを北本壮一朗(3年)が言う。
「他の高校への進学は考えませんでした。みんなとなら甲子園に出られると思った。中高一緒のメンバーが多く、仲間意識が強い。これほど頼りにのなるものはありません」

 北本は札幌大谷シニアでは控えだった。同じメンバーの中での刺激を勝ち抜いて高校でレギュラーポジションをとった例だ。1回戦では先頭打者ホームランを放った。

 札幌大谷は昨秋の北海道大会で優勝。明治神宮大会も決勝で星稜を破って優勝した。強い絆を持った北の覇者は1回戦、米子東を破って初勝利を挙げ、2回戦は明豊に挑戦した。

 明豊打線は1回戦、横浜の左腕・及川をノックアウトして破壊力がある。船尾監督は奇策に出た。公式戦で3イニングしか投げていない197センチの左腕・阿部剣友(2年)を先発させた。
そこには事情があって、明治神宮大会で龍谷大平安を封じ、星稜にも1失点完投したエースの西原が大会前にケガをして登板できなかったのだ。

「阿部には1回だけでもいいから投げてくれ、という期待しかなかった。賭けですね(笑)」
1回戦で完投した太田流星(3年)には1回の途中からでも行ける準備をしておくように指示していたという。

 右サイドハンドの太田を予想してか、明豊は左打者4人を起用したが、角度のある阿部のボールが効いた。1安打を許したが3回まで9人の打者で打ち取る。4回に先頭打者がヒットで出ると、スパッと太田にリレーした。

「一人でもランナーが出たら代えようと決めてました」(船尾監督)

 太田はその回、スリーベースで1点を先制され、5回も長短打で1点を追加された。
「ピッチャーはトータル9回で2失点、上出来です。阿部から太田で、目先が変えられればと。太田には札幌に帰ったらゆっくり休ませます」と監督は投手陣をねぎらった。

 太田も札幌大谷シニアでは控え投手。「中学の時は自分が甲子園に出られるなんて思ってもみなかった」というが、仲間がいたからこその大舞台だった。

「(中学時代に控えだった太田や北本が成長)体が大きくなった体型的なこともありますが、年齢を経て刺激が加わります。同じメンバーでライバル関係も複雑に存在する。のし上らないと、といろんな意識が変わってくるんでしょう」
 五十嵐部長がシニアとの連携の有効性を語る。

 攻撃面は、8安打を放ってチャンスを作ったが、モノにしたのは6回の1点のみ。

「コンパクトにスイングできればヒットになるかなと思っていたんですが。実戦を始めて2週間。この時期は生きたキレのあるボールに対応できない。相手のピッチャーが一枚、上手でした。
でも、諦めずにゲームを作ってくれた。勝つならこういう接戦かなと思っていました。選手を勝たせてあげられなかったのは悔いが残る。監督の責任です。
神宮大会の優勝もそうですが、自信が生まれたと思う。貴重な経験です。これがモチベーションになって夏まで取り組んでくれるでしょう。
甲子園で指揮が取れるんなんて、生徒たちのおかげ、感謝しかない」
 2対1の惜敗。満足感を持って指揮官は前を向いた。

 船尾監督は大谷中、大谷大学でコーチを務めて学園の中枢を歩いてきた。そこに外部の血を入れる。五十嵐部長は駒大苫小牧時代、2004、05年に夏の連覇を果たした時の三塁手だ。組織には化学反応が欠かせない。
「(自分のいた駒苫の時と)雰囲気は一緒。明るいし厳しいことを言ってもシュンとせず、反応が返ってきます。自分もセンバツは2回戦で敗れましたが、まだまだ伸びしろがあるチームです。一戦一戦、目の前の試合に勝とうと言っているのも駒苫時代と同じです。最終目標はもちろん夏。鍛えがいがあります」
 部長の体験はこれから、生きてくる。

 気心知れたチームメイト。全員が北海道の出身者たち。関西で関わりの濃度を深められただろうか。

飯田主将が言う。

「中学のスタメンはほぼ、一緒に高校に来ていて本当にいい仲間です。いろんなことが分かり合えているし、他の中学からの選手も含めて団結力は強いです。ただ逆に、弱みもあるかもしれない。もっと切磋琢磨していきたい。この仲間とできるのもあと、長くても4ヶ月。夏も戻ってきます。できるだけ長く、このみんなと野球がしたいんで」

 純度100パーセントの北海道ジュースは夏に飲むのが、絶対に美味いはずだ。

(文・清水岳志)