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中学はベンチ外、高校は8点差大逆転負け、2部リーグでプロ注目になった男【神宮だけが大学野球じゃないVol.3】

「この中に入っても遜色ない。スローイングならむしろ良いくらいだぞ」
 あるスカウトがそう呟いた場は、侍ジャパン大学代表の選考合宿。そこで名前が挙がったのは首都大学野球の2部リーグの無名の捕手だった。
その捕手の名前は獨協大の古谷勇斗(ふるや・はやと)。高い評価に見合うと言っていい舞台に立てたのは3年夏の甲子園のみ。だが古谷にとっては、苦い思い出だ。

 藤代高校の「1番・捕手」として茨城大会を優勝。初戦の大垣日大戦では先頭打者として安打を放つと、そこから相手投手の四死球も絡み一挙5得点。初回にもかかわらず第2打席が回ると、左翼線への打球は相手左翼手の頭上を超えると左翼手がフェンスに激突。ボールが点々としていると、古谷は俊足を飛ばしてホームに還るランニング3ラン本塁打となった。
ただ特別な経験は、これだけではなかった。初回に8点を奪ったが、その裏すぐさま4点を返される。5回には1度突き放したものの、「相手のしぶとさと球場の雰囲気に圧倒されました」と振り返るように、徐々に点差を詰められ、8回裏についに逆転を許され10対12で敗戦。8点差の逆転負けは大会タイ記録だった。「何が起こるか分からない。簡単に諦めちゃいけない」ということをあらためて学ばされた。
この劇的な敗戦で高校野球を終えた頃に、古谷の中に「野球を職業にしていく」という選択肢はなかった。進学は藤代高校と同様に「野球も勉強も打ち込める環境」ということで獨協大に進学した。


古谷勇斗(ふるや・はやと)1996年10月10日生まれ。茨城県つくばみらい市出身。谷井田スターズ(軟式)→取手リトルシニア(硬式)→藤代高→獨協大4年。180cm82kg。右投左打。


 中学時代までは平凡な選手だったことも背景にはある。中学時代は強豪・取手リトルシニアに所属していたが3番手の遊撃手。春には全国優勝を果たしたが、2回戦の代打で打てずに以降はベンチを温めた。夏のジャイアンツカップもベンチ外でスタンドから声援を送った。当時は身長160cm台半ばで非力さが目立った。それでも中学3年間を指導した石崎学監督は「ハンドリングや送球などセンスは良かったんです」と振り返り、両親も大きかったため「高校できっと良くなる」と秘めたる可能性を真摯な練習姿勢とともに藤代高校の指導陣にも伝えていた。
その石崎監督の予測通り、高校で身長がぐんぐん伸びるとともに身体能力は向上。そして1年冬に送球の良さを買われて捕手に転向。走攻守三拍子揃った捕手へと成長していった。

 獨協大はスポーツ推薦制度も無く、指定校推薦でも3.8以上の評定が必要になるなど入部までに野球以外のハードルが高い。それでも東北福祉大と日本通運のOBである就任5年目の亀田晃広監督が「環境を言い訳にしない。社会に出ても社長以外は100%の環境でできるわけではありませんから」と熱心に指導にあたっている。その成果もあり直近では2014年秋から2015年春を1部リーグで戦い、社会人野球の第一線でプレーする選手も複数輩出してきた。

その中で古谷は亀田監督に将来性の高さを見込まれ1年春から正捕手を任された。1年春に2部降格という苦しい経験もしたが、その悔しさを糧にした。ときには獨協大の練習が終わってから、取手リトルシニアのグラウンドに顔を出したこともあるほど練習に打ち込んだ。そして陽の目を見ない2部リーグでも懸命なプレーを続けて、今春に捕手として4度目のベストナインを獲得した。
変化球にも対応できる柔らかい打撃、捕手として俊足で機敏な点、そして何より捕ってから速いスローイングでプロ数球団が視察に訪れるまでになった。
一方でまだトップレベルの実績を挙げられていないため「今のままでプロは通用しない」とプロ志望届は提出せず社会人野球のバイタルネット入りが内定。
「ああやれ、こうやれと言われるのではなく探究心を持って成長できました」と4年間の成長を語り、大学野球最後のシーズンで「攻撃にリズムを作るような配球をしていきたいです」と、1部復帰を最高の置き土産にすべく奮闘を続けている。


今季既に7試合で2本塁打を放つなど打撃面でもチームを牽引する


文・写真=高木遊