BASEBALL GATE

プロ野球

大怪我による手術、筒香との絆…元DeNA助っ人が激白「もう1度日本で野球を」


年の瀬を迎え、各球団ともに来季への戦力が固まりつつある中、ある人物が日本球界復帰を目指し、熱い思いを吐露した。その人物とは、阪神、オリックス、DeNAなどで計8シーズンを過ごしたアーロム・バルディリス内野手。今季日本を離れ、韓国球界に移籍したバルディリスは、今、何を思うのだろうか――。

■“第2の故郷”日本でもう1度プレーしたい―、バルディリスが独占取材で胸中吐露

 年の瀬を迎え、各球団ともに来季への戦力が固まりつつある中、ある人物が日本球界復帰を目指し、熱い思いを吐露した。その人物とは、阪神、オリックス、DeNAなどで計8シーズンを過ごしたアーロム・バルディリス内野手。今季日本を離れ、韓国球界に移籍したバルディリスは、今、何を思うのだろうか――。

「あれは間違った決断だったよ」

 クリスマス休暇を過ごす母国ベネズエラで電話取材に応じたバルディリスは、昨オフに下した韓国球界移籍の決断について、そう振り返った。昨季を終えて、DeNAとの2年契約は満了。DeNAとは契約を更新せず、新たなチャンスを模索した。その結果、韓国リーグの強豪サムスン・ライオンズと契約。慣れしたしんだ日本を離れ、新たなスタートを切ることにした。

 だが、人生、予定通りにいかないこともある。張り切って参加したスプリングトレーニングで、少しずつ右足に違和感を覚え始めた。原因はグラウンドの固さ。「これまでいろんなグラウンドでプレーしたけど、まったく問題なかったから大丈夫だと思っていたんだ。スプリングトレーニングでは結果も出ていたし……」と楽観視したが、落とし穴は開幕後に待っていた。

 右足の痛みは増すばかりで、思い通りのパフォーマンスが出せない。だが、助っ人選手として、チームから大きな期待が寄せられていることも知っている。痛みを抱えたまま、何とかプレーできないものか……。そう考えて、横浜からDeNA時代のトレーナーを韓国まで呼び寄せたが、8月、ついに右足が悲鳴を上げた。アキレス腱断裂だった。

■離れて分かる日本のよさ、親友筒香と交わす野球談義

 すぐに自宅のあるアメリカへ戻り、ノースカロライナ州で専門医による手術を受けた。実際に患部を開いてみると、アキレス腱断裂に加え、踵に骨棘も見つかり、通常より複雑な手術を強いられたという。だが、災い転じて福となる、とでも言おうか。リハビリを経た現在、通常のトレーニングを問題なくこなせるようになった右足は、手術前よりも調子がいいくらいだ。

「通常のトレーニングを始めて1か月余りが過ぎたけど、今までより軽快に走れるくらい順調に回復しているよ。ドクターからは、2月には野球で100パーセントのパフォーマンスを見せられるってお墨付きをもらったくらい。あとはプレーする球団を見つけるだけ。是非もう一度日本で野球がしたいんだ」

 シーズン半ばで離脱したが、韓国リーグを経験したことで「自分には日本の野球があっている」と再確認できたという。実際、韓国の野球は日本とまったく別物だった。バルディリスと言えば、日本にいる頃から“練習の虫”として知られていた。

「自分は早く球場に行ってトレーニングをし、試合でうまくいかない部分があったら、球場に残って納得がいくまで練習したいタイプ。日本でプレーした球団では、そんな自分のやり方を許してもらえたけれど、韓国ではそうはいかなかった。野球に取り組む姿勢、試合のレベル、生活環境、どれを取っても、自分には日本の方が合っていると、実感せざるを得なかった」

 8年を過ごした日本のことを「マイ・ホーム」と呼び、“第2の故郷”だと思うほどに愛着と心地よさを感じている。時間を忘れて野球談義に没頭できる仲間もいる。DeNAでチームメイトだった筒香嘉智とは、今でも週に1、2回は電話するほど仲がいい。話す時は「日本語と英語とスペイン語の3か国語がごちゃ混ぜ」と笑うが、実力を発揮しきれない苛立ちと少し心細さを感じていた韓国では、筒香と電話で野球の話をする時間に救われた。

■日本球界復帰を熱望、将来は日本で引退→コーチ、監督の希望も

「ツツゴウは僕の親友。僕の家族もみんな彼のことが大好きなんだ。横浜の時から、いつも一緒に野球の話ばかりしていた。あのピッチャーはこうだとか、ここに気を付けると打撃が安定するんじゃないか、とか。彼は日本のNO1バッター。これからもっともっといい打者になる。親友としても、野球人としても、どこまですごい打者になるのか楽しみだよ」

 切磋琢磨できる仲間のいる日本でもう一度プレーしたい。その思いが、今、復帰に向けてトレーニングに励むバルディリスの原動力になっている。

「日本では両リーグでプレーしたし、ピッチャーやプレースタイルを熟知している自負がある。それは、日本で8年プレーした実績が証明してくれていると思うんだ。おそらく、手術をした影響を心配する人もいるだろう。だから、チャンスさえもらえれば、現時点でどれだけ動けるか、実際に確かめてもらう意味でも、公開練習をする用意もある。日本でプレーできるなら、もう1度チャンスを与えてもらえるなら、どの球団でも喜んで全力プレーを捧げるよ」

 年明け1月5日には34歳の誕生日を迎える。もし日本球界復帰が叶うなら、ゆくゆくは日本で現役生活を終え、コーチや監督になることも視野に入れているそうだ。

「日本は自分がハッピーでいられる場所。そして、僕の家族もハッピーでいられる場所。また、日本のファンの前でプレーできる日が来ることを願っているよ」

関連リンク