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マーリンズ田澤純一が歩いた数奇な野球人生…米メディア「イチローと真逆」


米移籍以来8年を過ごしたレッドソックスからフリーエージェント(FA)となり、16日(日本時間17日)にマーリンズと2年契約を結んだ田澤純一投手。米スポーツ専門サイト「SBネーション」では、新天地マーリンズのファンに田澤を紹介する特集記事を掲載。わずか5年で、アマチュア選手からワールドシリーズ覇者となった田澤の数奇な野球人生について触れている。

■新加入の右腕を大特集、「わずか5年でアマチュアからワールドシリ-ズ優勝」と特集

 米移籍以来8年を過ごしたレッドソックスからフリーエージェント(FA)となり、16日(日本時間17日)にマーリンズと2年契約を結んだ田澤純一投手。これまで所属するリーグが違ったため、マイアミのファンには決してなじみ深い存在ではなかった。そこで米スポーツ専門サイト「SBネーション」では、新天地マーリンズのファンに田澤を紹介する特集記事を掲載。わずか5年で、アマチュア選手からワールドシリーズ覇者となった田澤の数奇な野球人生について触れている。

 2008年オフ、社会人の新日本石油ENEOSからNPBを経ずに、レッドソックスとメジャー契約を結んだことは、日米で話題を呼んだ。日本でのプロ経験がない選手がメジャー契約を勝ち取ること自体が異例だったが、記事では、過去に掲載された「ニューヨーク・タイムズ」紙のインタビュー記事に触れながら、田澤が高校時代は無名選手だったことを紹介。「自分にメジャーで投げられる能力があるなんて考えても見なかった」という田澤の言葉を引用しつつ、アメリカでプレーすること自体が夢物語だったことを伝えている。

 だが、アメリカに渡ってからの田澤の成長ぶりは知っての通り。2Aで開幕を迎えた2009年、8月にメジャー昇格を果たした。8月7日、デビュー戦となった敵地でのヤンキース戦では、延長15回にアレックス・ロドリゲスにサヨナラ弾を浴びるホロ苦い経験もした。しかし、2011年に右靱帯再建手術から復帰後、翌年からは中継ぎとして好救援を繰り返すと、2013年には守護神・上原浩治につなぐセットアッパーとして、レッドソックスのワールドシリーズ優勝に大きく貢献した。

■田澤はマーリンズ初の日本人投手ではない!?

 記事では、2013年のプレーオフで披露した好投に触れ、上原と並びチーム最多の13試合に登板、わずか1失点だけだった事実を紹介。2年1200万ドル(約14億1000万円)の契約に相応しい投手だとしている。それでも、田澤が歩んできた道のりは、NPBでプレーした後でメジャー移籍する選手や、メジャーリーガーになることを目標に歩んできた選手とはまったく別なもの。とりわけ、来季からチームメイトとなる“レジェンド”イチローとは対極をなすストーリーで「タザワはイチローとは真逆の経験を積んできた」と表現している。

 加えて、記事では田澤にまつわるトリビアも紹介。田澤のメジャー通算成績を見ると、1四球に対する奪三振数の割合は4.34という驚くべき高水準で、実はマーリンズの歴史を振り返ってみても、これに匹敵する投手は誰もいないという(マーリンズで最低100イニングを投げた投手が対象)。一方で、調子が安定しなかった2016年には、6月下旬から9月上旬まで21試合連続で走者を背負うという、やや不名誉な記録も残した。今季メジャー全救援投手の中で田澤の記録を上回ったのは、来季から巨人でプレーするアルキメデス・カミネロ(前マリナーズ)とマイケル・ブレイゼック(ブルワーズ)の2人が記録した25試合連続のみだったそうだ。

 そして、最後にもう1つトリビアを。田澤の入団で、マーリンズに史上“初”の日本人投手が誕生したと思っているファンは多いだろう。だが、これは不正解。マーリンズ初の日本人投手は「2015年シーズン最終戦に登板したイチローだ」と、記事では指摘。最後は、球団史上“2人目”の日本人投手の入団を「Youkoso to Miami, Junichi(マイアミへようこそ、ジュンイチ)」と歓迎した。

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