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世界一カブス・マドン監督は何がスゴイ? 直弟子・岩村明憲が語る名将秘話


独立リーグ、ルートインBCリーグの福島ホープスで選手兼任監督を務める岩村明憲氏。少年時代からこれまで数々の監督と出会ってきたが、中でも大きな影響を受けたのが、今季カブスを108年ぶりのワールドシリーズ制覇に導いたジョー・マドン監督だ

■BC福島で選手兼任監督務める岩村氏、自身も継承する“マドン流”とは

 独立リーグ、ルートインBCリーグの福島ホープスで選手兼任監督を務める岩村明憲氏。少年時代からこれまで数々の監督と出会ってきたが、中でも大きな影響を受けたのが、今季カブスを108年ぶりのワールドシリーズ制覇に導いたジョー・マドン監督だ。2007年、岩村氏がメジャー移籍を果たした時、入団したタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)の指揮を執っていたのがマドン監督だった。メジャーでも名将の呼び声が高いマドン監督と接する中で、岩村氏は何を学んだのか。当時のエピソードも交えながら、たっぷり語ってくれた。

――采配を振る上で、これまで出会った監督から様々な影響を受けていると思います。その中でも、メジャー移籍後すぐに師事した(ジョー・)マドン監督(現カブス)から数多くのことを学んだそうですね。

「デカイですよ。ジョーの存在は。今年カブスが優勝した時もうれしかった。しかも、ワールドシリーズのMVPがレイズ時代のチームメイト、ゾブリストでね。うれしいよね(笑)」

――異国に渡って出会った最初の監督ですが、戸惑うことはありませんでしたか?

「俺はやりやすかったね。彼は俺を理解して信頼してくれた。信頼関係って大事だよね。特に、通訳を介してコミュニケーションを取る中で、自分の意図することが100パーセント伝えきれなくて、誤解が生じてしまう時もある。それをカバーするのが、『こいつはこういうことを言う人間じゃない』って思える信頼関係でしょ。それを持っていてくれたから、すごくやりやすかった」

――同じ日本人同士でも信頼関係を築くのは難しいことがあります。何かきっかけがあったんですか?

「ジョーと代理人が一緒という偶然もあって、契約を済ませた直後に一緒に食事に行ったんだよね。異例でしょ。キャンプインの時に『初めまして』って挨拶するのが普通。でも、その前にざっくばらんな話ができたことは大きかった。俺、聞いたんだよね。『どこを守ればいいですか?』って。そしたら、『君はどこを守れるの?』って、逆に今までされたことのない新鮮な質問が返ってきた(笑)。おぉ、そう来たか……って(笑)。

 そこで『主にサード。センターも守ったことはある。あとは言われれば、どこでも守れる。ファーストミットも持っていく』っていう話をしたら、『お、いいね。じゃ、サード、ショート、セカンド、ファースト、センターね。頼むぞ』って言われて、これが面白かったんだよね。結局、俺はキャンプに5種類のグラブを持っていったから」

■勝っても「監督の手柄ではない」―

――海外で新チームに入るのは、ただでさえ緊張する中、事前に監督とじっくり話ができたことは大きいですね。

「チームに入りやすかったね。しかも、オープン戦でまったく打てなかった(打率.220、0本塁打)。あの時も、ジョーに呼ばれて『日本でもオープン戦はあるだろ。アキはいつもどんな練習をしているんだ? お前の練習にとことん付き合うから、やりたい練習を言ってくれ』って声を掛けてくれた。そこまで考えさせて本当に申し訳ないと思ったね。だけど、もう少し環境に慣れればなんとかなるっていうのはあったから、『俺はとにかく一心不乱にバットを振ることが大事だから。今まで通りやらせてくれれば大丈夫』っていう話をして。結果、脇腹を痛めるまで4月は好調だった(打率.339)。ここでも信頼してもらえたよね」

――監督からの信頼を感じると、選手のモチベーションが高まりますね。

「監督が守ってくれるからって、選手が調子に乗りすぎてもダメだけどね(笑)。任侠映画を見た後で、気分が大きくなって映画館から出てくる人みたいに、ちょっと勘違いする奴もいるから。それは気を付けた方がいい。やり過ぎはどつかれる(笑)。

 ジョーから学んだことと言えば、俺は福島の選手に対して『勝っても俺の手柄でもなんでもないよ』って、わざと最初から言ってある。一昔前だと、ボスのために野球をしているんだから、勝ったら監督の手柄。俺もそう思ってたから、ジョーにも言ったんだよね。『ジョーのしたい野球を教えてくれ。俺はそれを表現するから』って。でも『私のために野球はしなくていい。そんなに自分を犠牲にすることはない』って言われた。

 それでも『俺はそういう文化で育っているから、言ってくれた方が働きがいがある。このチームに必要とされてきたんだから、チームのためにやるよ』って伝えたら、互いの意見をすり寄せる形にもっていってくれた。それがあったから、2008年に三塁から二塁へのコンバートも受け入れられたし」

■2008年にあった三塁から二塁へのコンバートの真相、「チームが強くなるために…」

――2006年ドラフト1巡目(全体3位)で三塁手エバン・ロンゴリアが入団していました。2007年後半からロンゴリア待望論が沸き始め、当時三塁を守っていた岩村さんをコンバートするのでは、という話が出る中、2008年に岩村さんは実際に二塁へ配置転換されました。移籍1年目の2007年を終えて、三塁手としての手応えを感じていただけに、複雑な思いもあったのでは。

「今になって見れば、ロンゴリアもリーグを代表するサードになってるから、しょうがないな(笑)。

 2007年の最終戦、トロントでのデイゲームで『今日、お前セカンドやってみるか?』って言われたんだよ。『はぁ?』って(笑)。その1か月くらい前からコンバートの噂はあったし、実はジョーから打診もされていた。俺は日本でゴールドグラブを6回も獲って、2007年は(エイドリアン・)ベルトレより多分守備率よかったと思うんだよね(三塁守備率.975はア・リーグ1位)。そこまでの自負はあったから『どうしてコンバートを考えているのか教えてほしい』って聞いたんだ。そしたら『アキがセカンドに行って、守備の穴を埋めてくれたら、このチームは強くなる』って、はっきり言ってくれた。三塁にロンゴリアが来るって話は一度も出なかった」

――ロンゴリアの存在がコンバートの理由ではなく、チームが勝つために二塁の穴を埋める必要がある。そのために一役買ってほしい、という形で、モチベーションを上げてくれたんですね。

「そう、チームが強くなるからって。確かにセカンドは穴だった。『アキが二塁に行ってくれれば、このチームは絶対に強くなる』って。だから『分かった。じゃあ二塁を守る』ってなったんですよ。最終戦の朝、ジョーは『アキ、今日はセカンドで行け』って俺に言ってから、オーダー表を貼り出した。俺がオーダー表を見て初めて二塁だって知るんじゃなくて、事前に納得した形で発表してくれたんだよね」

■選手の質問に時間を取って答える懐の深さ…「そこは大切にしていきたい」

――そういう細かい部分に気遣いのできるマドンイズムは継承していきたいですね。

「継いでいきたいね。俺が、あの大橋巨泉メガネが似合うんだったら、あれも継いでいきたいけど(笑)。福島で震災があった時も、すぐに反応してくれてね。思いやりのある、すごく人情味にあふれている監督。いろんな意見を言ったけど、ぶつかったことはゼロ。『あの時のエンドランは、どういう意図だったの?』っていう純粋な質問をしたことはいっぱいある。それに1回1回、時間を取ってしっかり答えてくれた監督でもあった。懐の深さを感じたね」

――岩村さんも福島の選手が質問してきたら、同じように時間を割いているんですか?

「そうしようと心掛けてる。高橋元気っていうピッチャーがいて、よく『監督、この時はこう攻めた方がいいんですか?』って聞いてくる。だから『こうだと思うよ。俺がバッターだったら、これが嫌だ。他のバッターは分からないけど、俺はこういう攻め方が面倒臭かった。打者にとって面倒臭い配球をした方がいいよね』っていう話はする。ピッチャーにとってインサイドの使い方や配球に正解はない。ただ、インサイドを使わないでアウトサイド一辺倒では狙われてしまう可能性が高い。だから、『こういう風にした方がいいんじゃないか』っていう打者目線の話は伝えるね」

――選手にとって、監督とそういう会話をできるのは、とても勉強になりますよね。

「日本だと、選手から監督に質問しづらい環境にあるかもしれないけど、やっぱり大切なのはコミュニケーションだと思うし、信頼関係。そこは大切にしていきたいと思います」

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