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高校野球

公立校一筋、甲子園出場なしも4人のプロを育てた川越工・熊澤光監督が挑む〝区切りの夏〟【高校野球コラム】

★環境を嘆く前に「できること」を探す

 今年の夏の甲子園は第100回を迎える記念大会。過去の名勝負やスター選手の回顧録を目にする機会も多い。だが、高校野球の世界には、甲子園に縁が無くても観客の心をつかむチームや、優れた実績を残している指導者もいる。たとえば埼玉の古豪・川越工を率いる熊澤光監督も、そんな指導者の一人だ。
 新卒の教員として赴任した滑川(現・滑川総合)、坂戸西、そして母校である川越工と、部長や顧問時代を含め今年で38年、一貫して埼玉県の県立校で野球部の指導に携わってきた。甲子園出場経験は春夏通じて一度もない。だが、教え子が4人、後にプロ野球選手となりNPBに進んでいる。これは公立校一筋、それも甲子園出場経験がない監督としては希有な実績であろう。
 しかも、滑川は新設野球部、坂戸西も赴任当時、野球部に特筆すべき過去の実績はなかった。川越工こそ、かつて甲子園ベスト4まで勝ち進んだ歴史はあるが、それが最後の甲子園出場で45年前の話。いわば熊澤監督はごくごく一般的な公立校野球部を指導する中でプロ野球選手を複数名、育てたのである。


投手陣のピッチング練習を見つめる川越工・熊澤光監督


 それは4人の経歴からもうかがえる。坂戸西から日体大、日本生命を経て中日入りした右腕・佐藤充(現スカウト)、同じく坂戸西から東京国際大を経て阪神入りした右腕・伊藤和雄は、ともに中学時代はピッチャーではなかった。佐藤は外野手、伊藤に至っては控えの内野手だったという。また、野手でも川越工から平成国際大を経て横浜入りした狩野行寿は、入学時は身長160センチ台の小さな内野手。2014年に川越工から日本ハム入りした太田賢吾は、背は高いがひょろひょろの非力な内野手……4人とも中学時代に目立った実績がない選手だったのだ。熊澤監督は、そんな選手たちの潜在能力に目をつけ、じっくりと力を育み、上の世界へステップアップする道筋をつけた。
「大前提として本人の〝野球が好き〟〝このポジションをやりたい〟という気持ちがあったからこそ、ですよ」と熊澤監督は謙遜する。ただ、かつて投手指導の取材をした際、印象に残る言葉があった。
「選手層に限りがある公立校、〝ピッチャーがいない〟という状況ならば、いろいろな選手の可能性を試してみるべきです」
 環境を嘆く前に「できること」を探す。キャリアの始めが新設野球部の指導、結果的にそうせざるを得なかった側面もある。ただ、そもそも「なんでもまずやってみたい」という性格。よいと聞いたことは試し、失敗したらまた別の方法を探す。その繰り返しで挑戦したいという選手の気持ちを後押しし、ときにはコンバートを促してきた。
「オフシーズンに部員を4チームに分けてリーグ戦をやるんですよ。その試合でポジションや打順を決めるのは選手たち。〝この選手はあんなこともできるのか〟と発見も多い」

 具体的な指導ノウハウも試行錯誤を経て積み上がっている。投手フォームづくりなどのメソッドは明確にまとめてあり、その内容をコーチ陣も共有。投手なら「力が分散しない、自分に合った正しいフォームを身につける」、打者なら「基本的な動きを身につけたら型にはめず長所を伸ばす」という方針で育てる。大学や社会人で花を咲かせるには高校時代はそれで十分と、故障につながるような無理はさせない。そうやって「埋もれた才能」を導いてきた。
「育成という面では、(強豪私学のような)常に勝利や甲子園を求められる環境ではなかったこともよかったのでしょう。佐藤なんて高校時代はまずフォームを固めることを優先、『盗塁はいくらされてもいい』と言っていたくらいですから。選手はその時点の状態だけではなく、将来、どう成長しそうか、という目で見ることが大事。とにかく選手をよく観察することですよ」


指導歴は40年近くなったが、今も元気にノックバットを振る


★最後の夢

 教員になって間もない頃、野球の指導では「甲子園出場」「プロ野球選手の育成」「後進の教員・指導者育成」の3つをいつかできたらいいな、と考えていた。プロ野球選手と指導者育成については、ある程度、結果を残せたと言えそうな自負ある。残るは甲子園だ。
 チャンスはあった。20年前の1998年、熊澤監督が率いる坂戸西は春季県大会で準優勝。春季関東大会でも東海大相模や帝京など強豪を倒してベスト4に進む。松坂世代に当たるその年は記念大会。埼玉県は東西に分かれ2校が甲子園に出場できた。浦和学院や花咲徳栄、春日部共栄がいない西埼玉に振り分けられた坂戸西は堂々の優勝候補。しかし、3回戦でまさかの敗戦を喫する。甲子園をつかんだのは、皮肉にも自身が創部に携わり、基礎を築いた滑川だった。その4年後、2002年にも埼玉大会の決勝に進出するが浦和学院の前に涙をのむ。後年には坂戸西で1回、川越工で1回、21世紀枠の県推薦校にも選出された。しかし、どうしても甲子園には手が届かない。

「甲子園……なんとかしたいですね。いろいろな面で、自分にもう少し〝強引さ〟があればいいのかな、と思うこともあります」
 なりふりかまわず、ひたすら勝利だけを追い求める。たとえば選手の将来、あるいは実力は劣るが「野球がしたい」と入部してきた選手たちの指導。そういったものを犠牲にすればもしかしたら……。だが結局、それは自分のスタイルでない、と原点に立ち戻る。
「できれば全ての選手が〝また野球がしたい〟と思えるように育てたいし、〝人づくり〟を疎かにはしたくない。甘いと言う人もいるかもしれません。だけど、甲子園に行くなら、そんな自分のスタイルを貫いて行きたい。ハードルは高いですが」
 それは38年間、邁進してきた「公立校の教員」としての信念、矜持のようにも思えた。そんな熊澤監督は9月で60歳。埼玉県の公立校教員としては今年度で定年、100回大会は自身の区切りの年でもある。
「ただ、できれば再雇用制度などを利用して、もう少し指導を続けたいな、と思います。だから、区切りではありますが終わりという気持ちではないですよ(笑)」
 実は「最後の夏なのかもしれない」と申し込んだ今回の取材だったのだが、情熱は全く衰えていなかった。

 今年の埼玉県は記念大会のため南北に分かれ2校が甲子園の切符をつかめる。川越工は南埼玉大会に出場。ベスト8に進んだ昨夏に比べ戦力的には厳しく、秋も春も県大会出場を逃した。ただ、その結果を受け止めているチームのまとまりは強い。高校野球はこうした年に不思議と前チームの結果を上回るときもある。
 ちなみに熊澤監督が手がけた4人のプロ野球選手、古い教え子から順番に、佐藤は大学・社会人経由、伊藤、狩野は大学経由、そして太田は高校から即プロ入りと、順を追ってプロになるプロセスが早くなってきている。また、「後進の教員・指導者育成」も、滑川や坂戸西では果たせなかったが、今、川越工の教え子が数名、叶えてくれそうだという。そんなある種のコツコツさは、なんとなく試行錯誤を繰り返してきた熊澤監督らしい。ならば残る最後の夢「甲子園出場」も、区切りの年に集大成として……そんな期待をしながら川越工の戦いを楽しみにしたい。


浦和学院、山村学園など優勝候補の壁を越え、区切りの年に悲願の甲子園をつかめるか


文・写真=田澤健一郎