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遠回りから得た成功ーー“努力の人”千葉ロッテ・角中の原点


JR金沢駅は観光客でごった返していた。11月18日。この日は名所・兼六園のライトアップ初日。日本中、いや世界中からの観光客で混雑する北陸新幹線のホームにガッチリとした体型が際立つスーツ姿の男の姿があった。角中勝也外野手。今季、パ・リーグで首位打者と最多安打の二つのタイトルを手にした男は、打席での雰囲気とはうって変わって緊張した面持ちを見せていた。

■パ首位打者と最多安打の“2冠”獲得で石川県スポーツ特別賞受賞

 JR金沢駅は観光客でごった返していた。11月18日。この日は名所・兼六園のライトアップ初日。日本中、いや世界中からの観光客で混雑する北陸新幹線のホームにガッチリとした体型が際立つスーツ姿の男の姿があった。角中勝也外野手。今季、パ・リーグで首位打者と最多安打の二つのタイトルを手にした男は、打席での雰囲気とはうって変わって緊張した面持ちを見せていた。それもそのはず。石川県スポーツ特別賞の授賞式参加のため、久々の故郷。県庁に訪問をして谷本正憲県知事と面会をする予定となっていた。

「今年は特に石川県の方々に遠方まで応援に来ていただきました。よく『石川から応援に来たよ』とスタンドから声をかけていただきました。その声が自分にとって励みとなり、頑張ることが出来ました。これからも石川県に明るい話題を提供できるように頑張りたいと思います。応援宜しくお願いします」

 県庁には地元が生んだスーパースターを一目見ようと大勢の人が溢れかえっていた。ロビーで挨拶を求められると地元に感謝をし、これからも石川県の為にプレーをすることを誓った。その様子を角中の両親も嬉しそうな表情で見守っていた。

 努力の人。角中を一言でいうならば、その言葉が一番だ。高校を卒業後、高知での独立リーグを経てドラフト下位での入団。それでも努力をする大切さだけを信じて、ひたすらバットを振り続けた。彼に何の才能があるか。まず、最初に言えるのは努力をいとわない才能。高みに到達してもなお、いつまでも努力し続ける継続力だろう。

■野球に明け暮れた少年時代「野球以外の思い出はほとんどありません」

 県知事との懇談の場で、息子をプロ野球選手にさせようと野球を教え込んだことで有名な父の稔さんは、昔を懐かしそうに、そして誇らしげに振り返った。

「自分も昔は野球をかじっていましたけれど、何が嫌いって『努力』という言葉が一番嫌いだった。なんで『努力』などしなければいけないのかと」

 そこまで、まくしたてるように話をすると一呼吸を置いた。そして続けた。

「当然、駄目になりました。だから、自分の子どもには『努力』をさせなければいけないと、強く思いました。その1人が、勝也です」

 親子二人は、ひたすら野球に打ち込んだ。だから、県知事に「当時の想い出の写真はなにかありますか?」と問われると、親子で困惑し苦笑いを浮かべ、首を横に振った。

「何もありませんね。そんな暇があれば練習をしろと言われたので。野球以外の思い出はほとんどありません。家族旅行に行った思い出もないですし。もちろん、そういった類の写真もありません。練習をしたことが体に染み込んでいる思い出なのでしょうか」

 角中はそう言って笑うしかなかった。しかし、それこそが彼の原点であり、今もなお続く習慣だ。

 ホームゲーム。全体練習での打撃練習を終えると、今度はミーティングまでの時間を利用して室内練習場にこもり、マシン相手に打ち込みを行い調整する。ビジターゲーム。チームが宿舎を出発する1時間ほど前に球場入りをしてスイングルームでバットを振る。それが彼の見えぬ努力。ネットでは『変態打法』と称賛され、どんな球、悪球さえもヒットにしてしまうそのバットコントロールを評するが、それは才能、センスだけで成り立っているものでは決してない。あくまでその土台は努力。人よりもバットを振り、調整をしている見えぬ作業の積み重ねから生み出されている。

■遠回りをしたからこそ見つけた、野球を続けられる幸せ

 遠回りもまた角中を成長させた一つの要因であろう。高校は金沢市内の甲子園常連校に憧れたが、父から説得された。「(七尾市出身の)能登の子は能登の学校から甲子園に出てこそ価値がある」。だから、輪島市に設立されたばかりの日本航空第二高等学校への進学を決めた。「できたばかり。一期生になるのもなにかの縁だ」と当時、父に論されての入学だった。が、結果的に高校3年間で甲子園に出場する夢は叶わず、野球を続けるため独立リーグ・高知ファイティングドッグスの門を叩いた。

「私のせいで遠回りをさせてしまったのかもしれない。それは申し訳ないと思う」と父は言うが、角中は独立リーグを経て、マリーンズに大学生・社会人ドラフト7巡目で入団をし、そこから這い上がってきたからこそ今の姿がある。野球を続けられる幸せ。環境、待遇面。そして、なによりも1球、1打を大切にする心を身につけた。

「息子はもう1回、首位打者を獲りますよ。2度あることは3度ある。というか、私はいつも息子にプレッシャーをかけ続けてきた。だから、もう1回、首位打者を獲ってこそ一流とハッパをかけたいと思います」

 大勢の報道陣に囲まれた父は最後にあえて、そう豪語した。それは息子へ、まだまだ満足せずに努力を続け、さらなる高みを目指すようにとのメッセージのように聞こえた。県庁を後にする時の角中は颯爽としていた。彼のシンデレラストーリーはまだ完結はしていない。さらなる高みへ、頂点へ。「自分が活躍することで同じような境遇の中で野球をやっている人の励みになれば」という志が彼にはある。努力もして、遠回りもして、雑草から這い上がってきた男の背中にこそプロ野球の魅力が詰まっている。

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

マリーンズ球団広報 梶原紀章●文 text by Noriaki Kajiwara

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