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野球愛したカストロ前議長死去 米報道「スポーツを国威発揚に使った人物」


キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日(日本時間26日)死去した。特にスポーツ発展に力を入れた前議長の訃報は、昨年54年ぶりに国交正常化が実現したアメリカ合衆国でも大々的に伝えられた。

■国交断絶のアメリカに対抗「世界屈指のスポーツ大国に成長させた」

 キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が25日(日本時間26日)死去した。特にスポーツ発展に力を入れた前議長の訃報は、昨年54年ぶりに国交正常化が実現したアメリカ合衆国でも大々的に伝えられた。

 米スポーツ専門局「ESPN」電子版では「フィデル・カストロ(享年90歳)、スポーツをキューバの国威発揚のために巧みに使った人物」と題した記事を掲載。1959年から2008年まで独裁的な指導者としてカリブの小国キューバを率いた前議長の半生を紹介している。

 社会主義国家の建設を目指した前議長は、1959年2月に議長に就任して以来、ソビエト連邦(現ロシア)と友好関係を深め、隣国だったアメリカ合衆国と敵対関係になり、1961年に国交断絶。1962年には核戦争の一歩手前まで迫るキューバ危機を迎えた。

 政治的リーダーとして君臨する間、前議長は国を挙げてスポーツの発展に尽力。記事では、1906-68年の間はオリンピックでメダル獲得歴のなかったキューバが、1972年のミュンヘン大会から一変したことに触れ、「カストロはスポーツ界での台頭に潜在的な利益を見出し、ニューヨーク市よりもわずかに人口が多いだけのキューバを、世界屈指のスポーツ大国に成長させた」と述懐。すでにスポーツ大国だったアメリカにあらゆる面で負けじと、国威発揚の一手段としてスポーツを使ったとしている。

■1992年バルセロナ五輪で野球の“初代”金メダル国に

 特に、野球の発展には力を入れた。野球が五輪正式種目となった1992年バルセロナ五輪では、準決勝でアメリカを下し、決勝ではチャイニーズ・タイペイに勝利して金メダル獲得。真っ赤なユニフォームに身を包んだアマチュア軍団は「赤い稲妻」の異名を執ったほどだったが、キューバにとって予想外の事態も発生しはじめた。国際大会で資本主義国と社会主義国の違いを目の当たりにし、「トップ選手たちは、年俸約1000ドルによりも、何千万ドルという契約を求めてアメリカに亡命を始めた」。家族を残して亡命した選手の多くは命がけで、中にはブルージェイズとFA契約したモラレスのように亡命失敗→収監を繰り返しながら、ようやくボートでの亡命を成功させた選手もいる。

 敵対関係を続けたキューバとアメリカだったが、2008年に前議長の弟ラウル・カストロ現議長に代替わりし、アメリカでもバラク・オバマ大統領が就任すると両国の関係が変化。2014年12月には、ついに国交正常化交渉を始める方針が示され、昨年には両国で大使館が再開、国交が正常化された。今年3月にハバナで行われたレイズとキューバ代表チームの親善試合には、ラウル・カストロ現議長、オバマ大統領らが観戦に訪れたが、フィデル・カストロ前議長の姿はなかった。

 国交正常化に伴い、メジャー球団のキューバ人選手獲得方法に何らかの影響があるのではないかと、動向が注目されていたところだったが、キューバの象徴とも言えた前議長の逝去もまた、大きな影響を及ぼすことになりそうだ。

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