- 高校野球
2018.08.03 14:45
選抜史上初の2年連続の優勝投手 根尾昂の大会だった
根尾昂はウィニングボールを掴んだ左手の赤いグラブを空に突き上げた。
得点は5対2で大阪桐蔭がリードして9回裏、智弁和歌山の攻撃も2死。9番バッター、根来への初球はファーストへのゴロ。一塁手の井阪が取ってカバーの根尾にトス。根尾はベースを踏んで大阪桐蔭の春、3度目の優勝が決まった瞬間だ。センバツ連覇は1930年の第一神港商、1882年のPL学園以来、史上3校目だ。
智弁和歌山と大阪桐蔭。桐蔭の西谷浩一監督は智弁のことを「近畿のライバル」と言う。お互いに頂点を勝ち取るときに必ず、倒さねばならない。この一年に限っても、公式戦で3回、対戦している。去年の春の近畿大会、夏の甲子園、秋の近畿大会。いずれも桐蔭が勝っている。
「3度も負けているので、なんとか勝ちたいなと思います。西谷監督にうちが倒すから、それまで負けるなよ、と言っていました」と智弁の高嶋仁監督はゲーム前に笑いながら闘志を見せていた。
4試合の総得点、智弁が34点で桐蔭が41点と打線活発。打ち合いが予想されたが、先発した智弁・池田、桐蔭・根尾が好投して3回まで0対0の拮抗したゲームになった。
4回に先手を取ったのは智弁だったがすぐ裏に桐蔭も追いついて終盤へ。
7回裏、勝ち越したのは桐蔭だった。四球で出たランナーをバントで送って、1番の宮﨑の時にエンドラン。「ゲームが膠着していたので動いたら何かが起きると思って」と西谷監督の作戦が当たる。レフト前ヒットでセカンドランナーの小泉が生還した。
さらに8回。3番、中川が四球で出塁。準決勝、三重高校戦のサヨナラヒットと同じように、4番の藤原は4球目をレフト越えツーベース。5番の根尾もしぶとく一、二塁間を抜いて、2点を追加した。
「7、8、9回という終盤に点を取れるチームは強い。ミーティングでも選手からそういう声が出ていて、合言葉にしてやってきた。7回に1点が入ってうちのパターンだぞ、と」(西谷監督)
決勝戦で見事に実証して見せた。
「去年の夏、甲子園で負けた翌日から春に日本一になろうと声をかけてきた。巡り合わせで連覇のチャンスを頂いた。圧倒なんてできていないですが、粘って勝てたのは収穫。大きな勲章をもらいましたので、また次へ。夏も挑戦したいなと思います」
前日の三重戦、リリーフで99球を投げていた根尾。「僕は決めてました。三重とのゲーム後、ダウンをしているときに、明日、行くぞ」と監督は先発を伝えたそうだ。
「柿木にどこでスイッチしようかと考えていたが、相手は根尾のストレートも変化球も嫌がっているようで、代えない方が嫌じゃないかなと。最後までいってもらおうと思った。デッドボールは珍しいが、踏ん張る強さを持ってました」と根尾を完投させた。
根尾は5回までにスライダーが抜けて3つの死球を与えたり、4回の東妻の2点タイムリーは自身「失投だった」という甘いスライダーを打たれた。
だが、そこからエンジンがかかる。奪三振は6つと少なめだったが、回を追うごとにストレートの球威は増したように思う。おそらく、9回の4人の打者に投じた16球は全てストレートだったのではないか。
ゲーム後、根尾が言う。
「バッターと対峙して、リリースの仕方やどこに投げるべきか、わかってきて修正できた。疲れてません。延長戦になってもいけました」
26イニングを投げて、26奪三振、失点3。西谷監督は「投手として根尾が一段、上がったと思います」と評価した。
そして、際立ったのが根尾のフィールディングだ。2回のピッチャー前の送りバントを迷いもせず、セカンドに送球して、併殺を取った。また、4回も満塁からのピッチャーゴロを正確にキャッチャーに投げてホームゲッツー。9回、最後のファーストベースカバーも打者走者を3メートル後に置き去りにしていた。
打っては今日も右と左に広角に2安打。18打数9安打。8打点。これはチームトップの成績だ。
今大会中のカメラマンの証言だ。
「普通、バッターのスイングを連写して撮っていると、インパクトの次のコマでバットが写っているんですが、根尾のバットはすでに振り切れていてファインダーにバットが写っていないんです」
身体能力の高さの可能性たるや。
本人はチームに貢献することを誓う。
「走攻守、全てが好きです。バッターでやるかピッチャーでやるかということより、全てやることがチームの勝ちにつながる」
一方、24年ぶりの優勝はならなかった智弁和歌山。打線は下位に回っても切れない黄金期のような迫力があった。6番の黒川は根尾のボールを引っ張ってヒットにした数少ないバッターで印象に残った。3番の林は大会中は控えめだったが高嶋監督が育てた中でも屈指の強打者だ。
「センバツは忘れます。投手陣を整備して夏を目指します」と高嶋監督は夏に目を向けていた。
センバツの2年連続、マウンドにいた優勝投手は初めて。
根尾昂の大会だった。
(文・清水岳志)