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【2018年注目の男たち③】釘宮光希(立正大)「あの頃に比べたら今は幸せ」日本一とプロ入り目指す

★エリート街道で得たもの

 中学時代から逸材と騒がれた。大阪のオール枚方ボーイズ(現枚方ボーイズ)に所属し、2年の夏に1学年上の葛川知哉(現トヨタ自動車)らを差し置いてエース格となり、ジャイアンツカップを制して日本一に輝いた。さらに3年時はAA世界野球選手権の日本代表に選ばれ、銅メダルを獲得した。
 当時オール枚方ボーイズで指揮を執っていた鍛治舎巧監督(前秀岳館、現県岐阜商)の指導を受け、「妥協のない厳しい指導は高校・大学以上で、そこに耐えることができたのは大きかったです」と振り返る。
 高校は数ある誘いの中で「強いところに行きたい」と、中学3年の夏に日本一となった東京の日大三高に進学した。2年夏に3番手の投手として甲子園のマウンドを経験した。だが3年時は甲子園に届かず。最後の夏は西東京大会準決勝で東海大菅生に敗れた。「三高も厳しいところだったので、物怖じしないようになりました」と話す一方で「大阪からわざわざ来たので、“甲子園に行かないといけない”と思っていたところはありました」と大きなプレッシャーも感じていたという。


釘宮光希(くぎみや・みつき)・・・1996年6月16日生まれ。大阪府枚方市出身。175cm75cm。右投右打。最速150km/hのストレートとカットボールやスライダーで押していく投球が持ち味


★「もう投げられないかもしれない」

 立正大でも厚い投手層の中、1年秋に5試合を投げて初勝利をマークしたが、その後の右肩の関節を痛めて長期離脱に入った。最初の半年は快方に向かわず「もう投げられないかもしれない」とまで思ったという。それでも「自分が神宮で投げる姿をイメージしました」となんとか気持ちは切らさず、様々なリハビリを試してみた。その中で見つけたのが驚きのリハビリ法だった。
「いろんな病院や治療院に行っても良くならなかった時に行った接骨院で“騙されたと思ってやってみな”と勧められたのが腕立て伏せでした。そこで少しもう投げやりにもなっていたので、ひたすら1日500回くらい腕立て伏せをやったんです(笑)そしたら投げられるようになりました。肩甲骨の安定性が高まったことが要因みたいです」
 今でも不思議な表情で振り返るが、なにはともあれ翌年2月のキャンプからマウンドに戻ることができた。
 すると昨年は春に2部リーグで4勝0敗、リーグトップの防御率0.95で優勝に貢献すると、入替戦でも勝ち星をあげて1部昇格に貢献。秋も4勝(2敗)を挙げて、チームは同率2位に躍進を遂げた。また球速も150km/hをマークするまでになり、キレの良いカットボールやスライダーなどの変化球も冴えた。

★日本一、プロ入りに向け「楽しみたい」

 今年は最終学年。立正大のリーグ優勝、日本一を目指すとともに「やるからにはプロを目指していきたいです」と秋のドラフト指名もどん欲に狙っていきたい気持ちを強く持っている。
「もちろん反省もしますが、結果だけを追い求めることがなくなりました。どれだけ打たれても、“投げられなかったあの頃に比べれば幸せだな”と前向きに捉えています。あの1年で悟ることができましたね(笑)」
 そう笑顔を見せる釘宮。今季は「アバウトに押し切るのではなく、コースに投げきるコントロールをつけること」を課題にして、さらなる高みを目指す。
 そして「チームの結果は大事ですが、楽しんだ方が結果も出るはず。楽しみたいですね」と、無駄な重荷は背負わずにチームと自らの目標に向けて突き進んでいく。


結果だけを追い求めていた呪縛から解き放たれ、前向きに目標と向き合うようになった釘宮


文・写真=高木遊