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大学野球

部員12人のチームに現れた最速147km/h右腕・三吉央起(横浜市立大)【神宮だけが大学野球じゃないvol.1】

★高校時代は3番手投手、入部当初は捕手

「え、マジ?」「スピードガンがおかしいのかな?」
 3月3日に行われた静岡大と横浜市立大の練習試合で横浜市立大の先発右腕・三吉央起(4年・東京都市大付)が140km/hを超えるスピードボールを次々と投げ込む。次第に上がる球速にネット裏で偵察を行う鶴見大の部員たちがざわついた(この試合の前に鶴見大は静岡大と対戦)。
 昨春に横浜市立大と鶴見大は神奈川大学野球2部リーグで対戦。その際は8回途中9安打5失点と鶴見大が三吉を打ち崩していたが、1年後に大きな変貌を遂げていた。その驚きの中、ついに球速は146km/hにまで到達。別の場所で計測をしていた静岡大のスピードガンでは、なんと147km/hをマークした。
 球速だけを聞けば、そこまで驚く数字ではないかもしれない。だがその右腕の所属する横浜市立大が部員わずか12人(※)しかいないことを考えれば、驚きを持って伝える価値があるだろう。
※女子マネージャー1人含む/新入生除く新2~4年生の合計


球種はストレートの他にスライダー、フォーク、チェンジアップがある。

★高校時代は3番手投手

 三吉自身にとっても、この数字は自身の想像を上回るものだった。高校時代は主に外野手で、制球難のため投手としては3番手。公式戦は3試合しか登板はなく、最後の夏は1度もマウンドに上がることなく西東京大会3回戦で姿を消した。大学は「中高と私立に通わせてもらったので」と学費の安い横浜市立大を受験し合格。高校野球を不完全燃焼で終えていただけに硬式野球部に入部した。入部当初は捕手。捕手が少ないチーム事情と、臼杵大輔監督の「このフォームで投げたら故障する。投手は体作りをしてからでいい」という判断からだった。
 金沢八景キャンパス内にあるグラウンドは野球の試合・練習を行うには十分な広さがある。だが、他部との併用のため、平日に使えるのは8時15分から13時まで。臼杵監督も行政書士の本業があるため練習の指導ができるのは土日のみだ。授業で抜ける選手もいるため少ないときは4,5人で行うこともある。
 その環境下で2年夏に投手に再転向した三吉は、参考になる理論や動画などをインターネットで調べ上げ、実践と修正を繰り返した。そして現在、大学卒業後に社会人での野球継続を志望している。


三吉央起(みよし・おうき)・・・1996年11月12日生まれ。東京都品川区出身。横浜市立大学国際総合科学部経営科学系新4年生。176cm74kg。右投右打。放課後は喫茶店でアルバイトをし、道具代や移動費に充てている。座右の銘は「大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず」。


★浪漫あふれる道の先に

 その意向を汲み、臼杵監督は2月に関東の強豪社会人2チームに練習参加をさせて、トップレベルを肌で感じさせた。「社会人トップレベルの選手たちを前にビビっているようなところは隠しきれませんでした」と臼杵監督笑う。それでも三吉は「ストレートには自信がありましたが、社会人の投手たちは質が違いました」と差を素直に認めた上で、そこで教えてもらった練習法を愚直に取り組んできた。
 その成果が表れたのが、この日だった。高校時代に制球難を抱えた面影も今や無い。大学最終学年の目標は2004年春以来の1部復帰、その主会場となる横浜スタジマムでプレーすることだ。
 三吉は2月3日のチームブログでこう記した。
「浜スタの電光掲示板に表示される横浜市立大学のスターティングラインナップを見たいです。他の学校と違って野球推薦もなく専用グラウンドもなく、学業との両立も求められる、無名選手の集まりの公立大学が優勝し入れ替え戦に勝ち一部に行きハマスタでプレーをし、強豪校を倒す。この物語に浪漫を感じずにはいられません。僕はこの浪漫を現実のものにしたいです」
 この投稿から1ヶ月後、その実現性を高める一歩を自己最高球速という形で記した。そして、一歩一歩と歩みを進める憧れの横浜スタジアムへの道のりの先には、さらなる大きな舞台が用意されているかもしれない。

三吉(写真左)と36歳の臼杵監督。1963年秋までに13回(リーグ3位)の優勝回数を誇る古豪でもある横浜市立大の1部復帰を狙う


文・写真=高木遊