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2017.12.13 19:17
田中悠太(東洋大)春秋連覇を支えた控え捕手の恩返しと冷めぬ情熱
勝ち続けるチームには、必ず影の立役者がいる。よく聞くフレーズではあるが、今年の東都大学野球で春秋連覇を成し遂げた東洋大では、控え捕手・田中悠太(4年・上尾)の姿が浮かんだ。常に温かくも力強い声や眼差しをグラウンド上の味方に送り続けていた。
今年の公式戦の試合出場は春秋それぞれ1試合のみ。だが、彼は全試合でチームに欠かせない存在だった。
★高校時代は古豪の中心選手
野球を始めたのは小学校2年生の頃。地元の新町トレジャースに入団し、ほどなくして「防具をつけているのがカッコよくて」と捕手に。以来、捕手一筋の野球人生だ。
中学時代は日高リトルシニアに所属。決して強いチームではなかったが、憧れの存在ができた。そのために中学3年時は勉強も「人生で一番頑張りました」と笑って振り返る。
それが上尾高校だ。甲子園出場春夏合わせ7回、1970年代中盤から80年代中盤にかけて隆盛を誇った。以降は私学に押されながらも、近年は同校OBの高野(こうの)和樹監督の情熱的な指導のもとで、県で度々上位進出を果たしている。
その原動力となっているのは熱気のこもった練習だ。言葉としてはありふれた表現に聞こえるが、実際練習を覗いてみると部員全員が情熱を絶やさずに、全力プレーと声を張り出している練習には圧倒される。田中もまたその情熱に心を奪われ「高野先生のチームでプレーをしたい」と決意。スポーツ推薦は無く、進学校でもあるため野球とともに勉強にも力を入れて入学を果たした。
同期には40人の部員がいたが、捕手兼中軸打者としてチームの中心選手としてプレーした。2年秋には県8強で翌春にセンバツ甲子園を制す浦和学院に惜敗。最後の夏は16強で敗れて甲子園出場はかなわなかったが、大学でも野球を続けることを決めた。
そして、高野監督の母校である東洋大進学を決めた。だが、その喜びもつかの間、田中は同期の捕手としてセンバツ甲子園優勝捕手となった西川元気(4年・浦和学院)が入学することを知る。同じ県内で対戦もしただけに、どれだけ優れた捕手かはよく知っていた。「体も大きく肩も強い。西川と4年間戦うのか・・・って気が遠くなりましたね」と正直に振り返る。
★「毎日辞めたかった」
西川に限らず全国各地から優秀な選手が集まる東洋大で、1年時はもがき苦しんだ。いつからか送球が定まらなくなるイップスに陥り、毎日「辞めたい」と思っていたという。だが高野監督との「試合に出られなくても、ベンチに入れなくても4年間やり通す」という約束があったため踏みとどまることができた。また、「たとえメンバーに入れなくても、何か1個でも乗り越えて卒業したいと思ったので」と、みんなが寝静まってから毎晩こっそりと室内練習場に行き、ネットスローをしてイップスを克服した。
そして3年の春前あたりから黙々と技術を磨き徐々に感覚をつかんできた田中は、練習に訪れるOBからの評判も高くなった。それが高橋昭雄監督の耳にも伝わり、夏のオープン戦で出場機会を得た。その日は西川にミスが出て、代わった捕手も内容が芳しくなかったため、ブルペン捕手がその日の役割とされていた田中に出番が回ってきた。初めての1軍の試合であったが、試合後に高橋監督から「球種も多く使って、今日一番良いリードだった」と褒められ、秋のリーグ戦のベンチ入りを掴んだ。
★上尾時代の仲間への恩返し
それでも西川の存在は大きく、以降の田中の出場は、昨秋・今春・今秋それぞれ1試合ずつの3試合のみだ。ただ高橋監督はその姿勢について賞賛する。
「試合に出たかっただろうけど、(イニング間の投球練習で)ちょっとでもホームベースが空いたら全力疾走で向かってね。ふてくされないし、“やらされて”やってないよね。こういう選手が増えれば、もっとチームは強くなる」
また恩師の元へ田中を送り出した上尾の高野監督は「母校のグラウンドにも
よく顔を出してくれましたが、後輩たちに話す内容を聞くたびに、視野が広くなっているなと感じました」と成長に目を細める。
なぜこうしたことができたのかと聞くと田中は上尾高校時代の経験が大きかったと言う。同期だけで40人もおり、当然試合に出られない部員も多かったが、その仲間たちを思い出した。
「試合に出られなくてもサポートしてくれた仲間たちのような行動をしよう。それができれば、直接ではないけれど恩返しになるかな」と思いを馳せて、何をやるべきかを考えて行動したという。そして、選手・裏方一体となったチームは激戦の東都大学野球リーグで春秋連覇を達成し、その一員となった。
★冷めぬ情熱
大学卒業後は、社会人軟式の強豪・パイオニア(埼玉県川越市)に入社し日本一を目指す。
「人間として何をしなきゃいけないのかを教えてくれた高野先生、見ていないようで細かいところまで目配り・心配りをしてくださった高橋監督に人生を変えてもらいました」
2人の恩師にも改めて感謝の言葉を口にした田中は、これからも野球選手として高みを目指す。
「春秋連覇は本当に嬉しかったけど、何もできていないという思いもありました」と話すのは、まだ情熱や闘争心を失っていない証拠だ。次なるステージでは、正捕手としてのハツラツとした姿も楽しみにしたい。
文=高木遊