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高校野球

駒大苫小牧が大阪桐蔭に惜敗【明治神宮野球大会】

2003年の第34回明治神宮野球大会2回戦で、大阪桐蔭は北海道代表の鵡川に「36-5」という大会史上最多得点で勝利している。当時の大阪桐蔭も4番・平田良介(現中日)を筆頭に豊富な人材を擁していたが、「00世代」の彼らは戦力的に当時以上だろう。しかし駒大苫小牧は2-4で敗れたものの、その大阪桐蔭に対して好ゲームを見せた。

ただ、どうにも勿体ない展開だった。勝敗を分けたワンプレーは3回裏一死満塁の守備。大阪桐蔭の3番・中川卓也(2年)に対して、ベンチの佐々木孝介監督は前進守備を選択した。

中川のゴロは二塁手・大槻龍城(2年)の正面を突く。本塁に投げれば少なくとも1アウトは取れたし、得点を与えることもなかった。だが、大槻は二塁へ送球してカバーに入っていなかったショートと息が合わない。悪送球で二者が生還し、さらに4番・根尾昂の一ゴロでも舞原陽和(2年)の二塁送球が乱れた。駒大苫小牧は内野の二失策が失点に直結し、3点ビハインドを負うことになった。

佐々木監督は3回一死満塁の守備についてこう説明する。「いつもと違う守備体系にして、ホームという指示を出していた。しかしその形は今までほとんどなかったので、連携が取れずゲッツーに走ってしまった。1回タイムを取って『こういう選手だからここに来やすい』という話もすればよかった」

一方で5回表には足を絡めた攻撃で2得点を挙げ、2-3と1点差に追い上げた。無死からの3連打で1点を奪うと、二死1,3塁から一塁走者が虚をつくスタート。捕手の二塁送球を見た三塁走者の小林海斗(2年)がホームに突入し、1点をもぎ取った。

佐々木監督は「桐蔭さんは技術が非常に高いチーム」と評しつつ、「大雑把な部分も沢山あったので、そういうところは突いていけると思っていた」と振り返る。そんな狙いが実践された5回の攻撃、走塁だった。

チームには手も足も出ない完敗でなく「届く可能性のあった惜敗」だったからこその悔しさもあるはずだ。来春の選抜に向けて、指揮官はこう抱負を述べる。「規格外の練習をするしかないと思います。選抜という目標はありますから良い冬を過ごせる。モチベーションと悔しさがマッチするんじゃないですかね?」

佐々木監督は駒大苫小牧が04年夏の第86回高校野球選手権で初優勝を成し遂げたときの主将で、田中将大の2年先輩に当たる。ただ当時とは学校の方針が変わり、2014年春からは野球部の練習時間も短縮された。

彼は環境の変化に合わせた指導方針をこう説明する。「マー君がいた時代と比べると(練習が)短くて、1日2時間半くらい。時間に規制が入っている。(今までより)毎日2時間短くて、2年半と考えるとそれがトータル1600時間あるわけです。ボールを握れない1600時間をどうすると考えて、余っている2時間をどう使うかということをうるさく言っています」

一方で選手について問うと「変わりは感じない」と言い切る。青年指揮官は言う。「選手が変わっているんじゃなくて、チームが変わっていると思う。チームさえ変わらなければ、そういうものだと思って生徒は入ってきます」

相手は日本最高のタレント軍団だが、佐々木監督に気後れは無かった。30才の若き指揮官はこう言い切る。「僕らは北海道代表で来ている。向こうは近畿代表というだけであって、どのチームも日本一を目指してやっている。たとえ勝ったとしても大金星とかは思わない。『大阪桐蔭だから』というのはないです。ウチは駒大苫小牧です」

ウインドブレーカーを脱いだ佐々木監督のユニフォーム姿は、選手と見間違えるほど若々しい。色白で端正な顔にはまだ高校野球の「監督らしさ」が刻み込まれていない。しかし彼の言葉の端々から伝わってくる気迫、厳しさは彼の恩師である香田誉士史の「影」を感じさせた。

★2回戦・駒大苫小牧高vs大阪桐蔭高

駒大苫小牧000020000=2
大阪桐蔭 00301000×=4
【桐】○横川、柿木―小泉
【駒】●大西―荻田
本塁打:大阪桐蔭・宮﨑《5回ソロ》

文=大島和人 写真=伊藤華子