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日ハムは6選手が引退&戦力外 2人は球団スタッフに、1人は消防庁採用試験へ

栗山英樹監督の下、打倒・ソフトバンクを掲げた日本ハム。一時は最大11.5ゲーム差をつけられながら15連勝などで大逆転し、87勝53敗3分けで4年ぶりのリーグ制覇を達成した。さらに、広島との日本シリーズも2連敗後に4連勝。10年ぶりの日本一をつかんだ。

■ダルビッシュと「ダブルエース」だった左腕が引退

 栗山英樹監督の下、打倒・ソフトバンクを掲げた日本ハム。一時は最大11.5ゲーム差をつけられながら15連勝などで大逆転し、87勝53敗3分けで4年ぶりのリーグ制覇を達成した。さらに、広島との日本シリーズも2連敗後に4連勝。10年ぶりの日本一をつかんだ。

 今オフはベテラン、兼任コーチら6選手がユニホームを脱ぐこととなった。通算82勝を挙げて4度のリーグ優勝、06年の日本一に貢献した武田勝、そして捕手兼2軍バッテリーコーチ補佐だった米野智人は現役引退。同じく引退する須永英輝、大塚豊は球団スタッフに転身し、荒張裕司は消防士試験を受験するという。金平将至は12球団合同トライアウトを受験する予定だ。

 ここで引退、戦力外となった主な選手を振り返ってみたい。

◯武田勝(引退)
プロ11年目。通算244試合登板、82勝61敗1セーブ15ホールド、防御率3.02

 社会人野球・シダックスから2005年大学生・社会人ドラフト4巡目、28歳で日本ハム入り。球を一瞬持ちかえるようにして投げる変則的な投球フォームから130キロ前後の球速で打者を手玉に取る投球術を見せ、09年から4年連続の2桁勝利をマーク。ダルビッシュと共に「ダブルエース」と呼ばれ、13年には開幕投手を務めた。

◯須永英輝(戦力外→引退)
プロ13年目。通算30試合登板、0勝3敗2ホールド、防御率7.71

 03年ドラフト前に巨人入りを熱望したが、日本ハムが2巡目で強行指名。熟考後に入団を決めた。1年目の04年に1軍デビュー、イースタン最多勝を獲得して将来を期待されたが、2年目以降は制球難に悩まされた。10年11月にオビスポとの交換トレードで紺田敏正とともに巨人移籍。12年に左肘を手術した。巨人では14年の1試合登板のみで、15年に北篤、矢貫俊之との交換トレードで矢野謙次と共に日本ハムへ4年半ぶりの復帰。戦力外通告を受け、今後は球団スタッフに転身する。

■金平はトライアウト受験へ

◯大塚豊(戦力外→引退)
プロ7年目。通算27試合登板、1勝1敗2ホールド、防御率5.40

 09年ドラフト2位で日本ハム入り。即戦力と期待されたが、創価大時代に痛めた右肘の状態が悪く、10年3月にトミー・ジョン手術を受けた。11年に1軍デビュー。14年に中継ぎとして14試合登板し、7月3日の西武戦(大宮)で2番手で救援してプロ初勝利をマーク。16年は1軍登板はなく、戦力外通告を受けた。今後は球団スタッフに転身する。

◯米野智人(引退)
プロ17年目。通算300試合出場、打率.206、13本塁打、64打点

 99年ドラフト3位でヤクルト入り。名捕手・古田敦也の後継者と期待され、06年は自己最多116試合に出場し、打率.235、7本塁打、37打点を記録。しかし、07年から控え捕手に甘んじ、10年途中に西武へ移籍した。12年から外野手登録。同年4月26日のソフトバンク戦では9回2死満塁でファルケンボーグから逆転満塁弾を放った。15年オフに戦力外通告を受け、日本ハムと捕手兼2軍バッテリーコーチ補佐として契約。今季は2年ぶりに1軍出場したが、オフに今季限りでの現役引退を表明した。

◯荒張裕司(戦力外→引退)
プロ7年目。1軍出場なし

 09年ドラフト6位で四国九州IL・徳島から日本ハム入り。10年にイースタンで打率.296を記録したが、11年以降は目立った活躍を見せられず。1軍出場はなく、戦力外通告を受けた。今後は東京消防庁の採用試験を受ける予定。

◯金平将至(戦力外)
プロ3年目。通算11試合登板、0勝0敗0セーブ、防御率6.30

 13年ドラフト5位で日本ハム入り。1年目の14年に開幕1軍入り。1軍デビューしたものの、目立った活躍はなく、戦力外通告を受けた。今後は12球団合同トライアウトを受験する予定。

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