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2017.08.05 17:25
【THE INSIDE】甲子園通算最多勝利の中京大中京…2年ぶり28回目となる夏の甲子園出場は名門校の矜持
春は4回、夏は7回。近年では2009年夏に堂林翔太投手(現広島東洋カープ)と磯村嘉孝捕手(現広島東洋カープ)のバッテリーを擁し全国制覇を果たしている中京大中京。しかし、そんな名門校でも愛知大会を勝ち上がっていくことは並大抵ではない。
全国制覇時の大藤敏行監督(現U-18日本代表ヘッドコーチ)の後、2011年から指揮官を引き継いだ高橋源一郎監督。まだ37歳で、名門校を背負う任を与えられたときは30歳だった。自身は97年春のセンバツで主将として準優勝という経験があるが、監督として甲子園へ母校を導いたのは、就任5年目の15年夏が最初となった。
「名門校を背負うプレッシャーはきつかった」と、その時は胸をなでおろしていた。しかし、それだけで周囲は納得してくれないのが名門校を背負う立場の厳しいところでもある。
中京大中京・高橋源一郎監督
甲子園に出場することが当たり前で、そこでどれだけ勝つのかということを問われ続けるのだ。昨秋は、県大会で圧倒的な強さを示して優勝を果たし、センバツ代表をかけた東海地区大会でも優勝候補の筆頭に挙げられていた。しかし、準決勝で同じ愛知県で3位校として出場を果たしていた至学館と対戦し、あと一人打ち取れば勝利という場面から、失策がきっかけとなって逆転サヨナラ負けを喫した。手元まで手繰り寄せていた、“春センバツ甲子園”の切符を失った。
「1球の重さ、大切さを、改めて身をもって知らされた」
そんな反省から、秋以降はことのほかミーティングの時間を多く割いて、一つひとつを納得いくまで語り合うようになったという。そして、その悔しい思いを晴らすのは、「夏の愛知大会で優勝して甲子園出場を果たすしかない」ということで一致した。
そして、改めて夏へ向けて、それぞれがひたむきに練習に没頭していった。「この夏、勝たなければ、あの負けから半年、何をやってきたのだということを問われかねない」という危機感もあった。だから、すべては夏のために意識を向けてきた。
チームスローガンとしては、名門校にはふさわしくない「泥団子集団」というものになった。選手たちが、それぞれに考えた結果のものである。高橋監督は、「四字熟語とか、私なりにいろいろ考えていたんですけれども、選手たちが出してきたのがこれでしたからねぇ」と苦笑する。
さすがに日本一の名門校として、それを前面に掲げていくことは、選手自身の意識は別として、歴史を知るOBや古くからの“中京ファン”にとっては、いささか抵抗があることは否めないかもしれない。
だから、未だに表には掲げていないけれども、高橋監督としては、そういう泥くさくても喰らいついていこうという意識が芽生えたことに、チームとしての選手個々の意識の高まりを感じている。
「内緒で、アンダーシャツのどこかにDDS(Doro Dango Shudan)と入れてもいいかもしれませんね」と、選手たちの泥だらけになっても何とかしていきたいという意識を評価している。
2009年の優勝が輝く深紅の大優勝旗
強力打線で打撃のチームという印象が強いのだが、伝統的に“中京野球”は、送りバントや一つひとつの細かいプレーを大事にしてきている守りのチームである。09年の全国制覇の時も20本の犠打を決めている。ちなみに、2番打者の國友賢司君が7本も決めている。伝統的に奇をてらった作戦ではなく、きっちりとセオリーを通していくという戦いなのである。
今年のチームもそれを踏襲している。もちろん、主将でもある1番の伊藤康祐君や4番の鵜飼航丞君、愛知大会では大当たりだった諸橋駿君などの強打は光る。しかし、それらの打線を生かすのがしっかりとつないでいける打線で、それぞれが役目を果たしていくという姿勢である。愛知大会では、鵜飼君にもあえてバントを指示する場面も見られた。
守りとしては、香村篤史君と磯村峻平君という右と左のダブルエースと、左腕・伊藤稜君という切れ味のいいスライダーが持ち味のスリークォーターの投手陣が中心となっている。香村君と磯村君は、昨夏の愛知大会で愛工大名電に敗退した時にも投げている。準々決勝では、その愛工大名電と対戦した。
「去年の悔しさを知っているはずだから、それをどう取り返していくのか、その気持ちを期待する」というようなことを両投手には伝えたという高橋監督。香村君は、昨秋の至学館との試合で最後の1球の重みも実感している。そうした大事な試合での“負けの経験”があることで、それを精神的な成長剤として夏までの間、自分にも負荷を課してきていた。
中京大中京・香村篤史君
2年ぶりの檜舞台に姿を現した超名門。前回の出場では、岐阜城北と鹿児島実を下したが、3回戦で0対0の緊迫した投手戦の末に、最後に関東一に本塁打を打たれて惜敗した。時代の流れもあって、甲子園でもかつてほど「中京」というネームの威力もなくなっているのかもしれない。
とは言うものの、やはり全国一の実績を誇る伝統校である。かつて、愛知県の野球少年は、「ここ八事山 東海の」と言われると、「大都名古屋の東(ひんがし)に……」と、続けられるくらいに、校歌とともに「CHUKYO」というブランドに憧れていたものだ。
「やっぱり愛知県の高校野球は、中京が強なけないかん(中京が強くないといけない)」。
多くの愛知県の高校野球関係者や野球ファンの期待を背に、超名門校がどんな戦いをしていくのか楽しみである。