- 高校野球
2019.11.02 12:00
「周りからの刺激を受けて成長してきた、U-18マドンナジャパン主将・坂口英里!」【野球女子 vol.28】
第2回WBSCプレミア12の開催が迫り、侍ジャパンの悲願の初優勝に向けて注目が集まっているが、このWBSCプレミア12とほぼ同時期の11月9日から15日まで、中国で開催されるのが第2回BFA女子野球アジアカップだ。大会連覇がかかる日本は、18歳以下の女子選手20名を招集して世界のライバルたちとの戦いに臨む。
今回はそんな日本代表をまとめる主将・坂口英里選手に、お話を伺った。
神村学園の女子硬式野球部に所属する坂口選手。今年の神村学園女子硬式野球部は春と夏の全国大会でともにベスト8。過去には春3回、夏6回の優勝経験を誇る屈指の実力校である。
そんな神村学園で春の大会前まで主将を務めていた坂口選手は、小学5年生から地元・福岡の油山少年野球部に入部。一塁手としてプレーしていたが、「もう選手としてはいいかな」と感じ、中学1年生の時に一度選手を離れることに。
しかし野球に携わりたかった坂口選手はマネジャーとして、野球に関わりを持っていた。だが、マネジャーとして野球を見続けたことで、「またやりたくなってきた」。そして1年生の冬、選手として復帰することを決意した。
再び選手としての道を歩むことを決めた坂口選手は、福岡志免ボーイズへ入団した。
「1つ下の弟が福岡志免ボーイズでやることを決めていたので、一緒にやれればと思っていたので決めました。ただ体を動かしていなかった時期がありましたし、冬場だったのでトレーニングが中心でした」
それでも坂口選手は当時のことをこう語る。
「男子についていくのに必死でしたが、お母さんとか支えてくれている人がいましたし、男子には負けたくなかった」
こうした感謝の気持ちと強い覚悟をもって坂口選手は中学時代を駆け抜け、高校では神村学園へ。3年間で日本一の称号を獲得することはできなかったが、神村学園での3年間は「充実していた」と坂口選手は語る。
「1年生の時には、当時は3年生を見てカッコイイと思いましたし、いろんなことを教えてくださったのでどんどん吸収していきました。逆に2年生の時はキャッチャーに先輩がいなかったので試合に出ることが出来て、その時エースだった先輩の気迫とかチームをまとめる力を尊敬していました」
多くの刺激を受け続けた坂口選手にとって、2年生の時に大きな出来事が訪れる。全国から20名を集めて開催した全日本女子野球連盟(WBFJ) U18強化プログラムに選出。今回の代表メンバーの瀧石かの子選手や、大沼咲貴選手も参加した合宿に坂口選手も参加したのだ。
「先輩のプレーに鳥肌しか立たなかったですが、これに参加できたからこそ『次も選ばれたい』と思いました。逆に『前回があるから選ばれるだろう、とか選ばれるんじゃないか』と周りから言われるのは嫌でした」
当時2年生だった坂口選手は実力で代表に選ばれるべく、最後の1年間は猛練習を重ねた。またチームでは主将になったことで「しんどいことも経験しましたが、大会に向けて練習できたことで技術が上がった」と納得の1年間を過ごした。
そして坂口選手は現在、満を持して代表に選ばれ、さらに主将に就任した。
「関西合宿の時には榎本彩乃選手と一緒にまとめ役をやったりして『もしかしたらやるのかな』くらいにしか思っていませんでした。指示を出したり受けたりすることは多かったですが、良い選手ばかりいて、チームでは主将をやったことのある選手もいるのでまさかでした」
それでも監督を含めてコミュニケーションをきっちりとるなど、主将としてチームを1つにまとめようと工夫を凝らしてきた。そして、いよいよ間近に迫った大会に向けて、チームは最終調整へ。主将として、そして捕手でもある坂口選手の役割は非常に重要だ。
坂口選手がどんなプレーでチームを引っ張り、優勝へ導くのか。U-18マドンナジャパンの中国での戦いもしっかり注目していきたい。
記事:WoodStock