- 高校野球
2019.10.26 12:00
「人数は少ないけれども、栄冠を背負って新チームも意識では負けない」作新学院女子野球部 篠原優華主将・海老沼桃選手【野球女子 vol.27】
女子の高校硬式野球部は全国で32チームがある。全国大会としても今年で32年目だった。まだまだ、歴史としては浅い。それでも、そこで日本一に輝くということは難しい。それを6年目で果たしたのが作新学院だ。
その栄光を作った3年生たちが抜けて、新チームは2年生が6人、1年生が8人という小世帯となった。果たしてどんなチームとなっていくのだろうか。
作新学院女子野球部、日々の練習は室内練習場でということになっている。だから、連係プレーや実戦形式の練習はなかなか取り組めないというのが本音だ。勢い、個々の技術力を高めていくことが中心となっていく。
3年生がメインとなっていた旧チームの中から、常時試合に出ていたメンバーで残ったのは遊撃手の篠原優華さんと中堅手と投手を兼ねている海老沼桃さんだ。
新チームはこの二人を中心としてチーム作りをしていくということは、田代恭規監督としても大前提となっている。
篠原さんは、兄の影響もあって小学校1年生の時から埼玉県新座市の新堀ジャイアンツという少年野球クラブで野球を始めている。
「最初に始めたときから、結構上の学年の人たちに混じってやっていたんですけれども、最初はセカンドを守っていました。その時から、自然に野球は続けていこうと思っていました」
と言う篠原さん。兄はその後、新座東シニアに進むが、彼女もそれを追うようにしてそのチームに入っていった。その後は浦和学院に進んだ兄を追いかけながら、自然に硬式野球に馴染んでいった。
「最初の硬球の感想というのも、それほどなくて、打った時にちょっと痛いかなと感じたくらいです。そこで、内野手としてやっていました」
と、中学生になって当たり前のように硬式野球に取り組んでいった篠原さんだったが、やはり中学生になってくると、男子と女子の体力差、パワーの差ということを感じたところがあったという。野球をやっていて、それが最初の一つの挫折だった。
それでも、女子で野球をやれるところでやろうということもあって、埼玉県を含めて、関東の学校の体験入部などにも足を運んでいった。そうした中で、「一番雰囲気がよかった」ということで作新学院を選択した。
現在は、家を離れて下宿生活をしながら学校に通って練習している。作新学院の甲子園での全国制覇に関しては、「私は、その時は栃木県民ではなかったので、それ程の認識はなかった」と笑うが、「今年は、同じ学校なので男女共という形で優勝して欲しかった」と、思っていたという。
同学年は最初の8人から2人減って現在は6人しかいないが、それでも「楽しくやれている」という意識はある。ただ、「人数が少ないけれども、誰と仲がいいとかそういうことがあると、そのことが野球に出ちゃうとよくないかなと思います。野球をやるという意識の中で、そこに集中していくようにしていきたい。特に、自分が積極的に声を出していって、いろいろ言っていく役にならなくてはいけないと思っている」と、主将としてチームをまとめていかなくてはいけない役割を認識している。
特に、日本一になったチームの後を引き継いでいくという立場でもある。
「やはり、優勝はいいもので、もう一度経験してみたいという気持ちはあります。ただ、現実には3年生がすごかったので、それに比べると今のチームは物足りないなという気がしています。それを埋めていくのは、私と、もう一人夏に試合に出ていた海老沼が中心になって、意識を高めてやっていけるようにしたい」
チームを引っ張っていかなくてはいけない立場として、その意識はより強くなってきているようだ。
「前チームに比べると、自分らの代は人数も少ないし、あまり期待を持たれていないので、逆にそれを裏切りたいなと思っています(笑)」
とはいえ、優勝したという実績があることで、この夏の体験入部や問い合わせは非常に増えてきているという。
「後輩が多く入ってきてくれるのは、やはり嬉しいし、楽しいし、ステキな野球部だよということは、伝えていかなくてはいけないと思っています」
小学校3年の時に小山市の穂積学童クラブで兄が野球をやっていたので、自然な感じで野球を始めたという海老沼桃さん。今のチームでは投手とセンターを任されている。学童時代は主に一塁手だったというが、投手を始めたのは御田(みた)中に進学してからである。
御田中野球部は入学当初は26人いたが、彼女が3年生になった時は12人になってしまっていた。まさに、中学野球部人口減少を画に描いたようなものだった。同学年は、わずか4人しかいなかったという。
だから、ある程度必要に迫られてということもあって投手をやっていた。それまでは、左ながらも二塁手として試合に出ることもあったという。それでも、中学3年生の時には、ある程度は上まで進むことが出来たという。
高校進学に当たっては、「1年上の生井さんと、小学校の時から選抜チームで一緒にやってきていました。その生井さんが作新学院に進んだって聞いたので、それならば私も続こうと思って(作新学院を)選んだ」ということである。そして、この夏はまさにその思いが花開いたのだった。
もちろん、作新学院の場合、女子野球部はグラウンドがないので「やれることは限られているだろうな」ということは納得していた。ところが、来てみると、「室内だけれども、思っていた以上にやることがあった」ということで、十分にやり甲斐は感じている。
練習自体としては、打撃練習に最も力を注いでいて、ティーバッティングにしても、自主的に工夫しながらいろいろ取り組んでいる。特に、新チームでは3番を任されることになりそうなので、中軸打者としてより磨いていこうという意識である。
「自分たちが、本当に一生懸命にやっていかないと、3年生の穴は埋められない」
ということは感じている。また、投手としての課題も具体的に挙げていた。
「今までは一度打たれ出したら、そこからずるずると行ってしまうことが多かったのですが、そうならないように試合中に修正する力を、経験を積みながら身に付けていかなければいけない」
海老沼さん自身は、将来の希望としては看護師ということも思っている。だから、進路としては大学まで野球をやって、そこからそういった学校を改めて目指していくのか、高校から将来の夢に向かっていくようにするのか、まだ決め切れていないという。ただ、今は「周囲からは、日本一になったチームという目で見られると思うので、それに恥じないプレーをしていきたい」という思いでいっぱいだという。
2年生6人、1年生8人。この夏の日本一チームは、小世帯でスタートしているが、プレッシャーを感じつつも、「一人ひとりがしっかりと、やれることをやっていく」という意識で挑んでいく。
(取材・構成/手束仁)