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独立リーガー、ヘンリー・センテノ投手が語るベネズエラ野球(前編)【WORLD BASEBALL vol.33】

ヘンリー・センテノ投手

 近年、来日する野球選手の中でベネズエラ勢が目立つ。ベネズエラ出身のアレックス・ラミレス率いる横浜DeNAには主砲のホセ・ロペスをはじめとして、3人のベネズエラ人選手が在籍している。そのラミレス監督の甥っ子ヨンデル・ラミレスが独立リーグでプレーしているのをご存じだろうか。

ベネズエラでは、子どもができたとわかると野球選手になってほしいため、父親は皆男の子が生まれるように願うという。

 ヨンデル投手は、9歳で野球をはじめ、15歳の時には140キロを超す剛球を投げていたという。その噂を聞きつけた日本人の誘いで、弱冠15歳で来日。日体大荏原高校で日本野球の手ほどきを受け、高校卒業後の2015年、ルートインBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサス(以下群馬DP)に入団した。

 今年で独立リーグ5年目、過去にはドラフト候補にもなった速球派投手だ。今ではすっかり日本になじみ、ベネズエラにはもう7年も帰っていないという。

ヨンデル・ラミレス投手

 群馬DPはオリックスでもプレーしたカラバイヨ選手(引退)をはじめ、ベネズエラから多くの助っ人を呼んできた球団で、今シーズンは、4人のベネズエランがプレーし、東地区前期優勝に貢献した。

 今回は、日本語の堪能なヨンデル投手の通訳により行った群馬DPのヘンリー・センテノ投手のインタビューをもとにベネズエラ野球を探ってみたい。

 現在、ベネズエラはアメリカとの関係の悪化から経済が破綻し、国情が極めて悪くなっている。昨年は、冬季に行われる国内プロリーグの選手が試合の帰りに殺害されるという痛ましい出来事があったが、センテノはこの冬のシーズンもウィンターリーグでプレーする予定だ。

 センテノが野球を始めたのは、5歳の時。学校に部活のないこの国では、地域のクラブチームでスポーツを始めるのが常だ。クラブチームで頭角をあらわすと、スカウトがやってきたり、トライアウトの受験を勧められたりする。「ショーケース」と呼ばれるトライアウトに合格すれば、晴れてメジャー球団と契約となるが、契約に至るのは至難の業、そこで有望な選手は、プライベートのアカデミー、日本でいう野球塾のようなところに通うらしい。ここからスカウトされた選手は、最初のひと月は無料でプログラムに参加できるが、その後は、寮費などを支払わねばならないという。

 センテノが、タンパベイ・レイズと契約を結んだのは2010年、16歳の時というからよほどの有望株だったのだろう。現在では、状況の悪化からベネズエラからMLBは撤退してしまったが、センテノがプロになる数年前まではメジャーリーグすべての球団がアカデミーを開設していたと彼らは言う。

「最初は、アカデミーのウィンタリーグでプレーしました。夏の公式戦以外に、アカデミーではベネズエラのプロ野球の二軍と試合をするんです。ただそこで肘を故障してしまって、翌年の夏のリーグには出遅れてしまいました。レイズのアカデミーは寮や室内練習場をもっていて、かなりいい設備でした。MLBアカデミーは、国の中部の都市バレンシア周辺にあるのですが、今ではそのあたりはすっかり破壊されてしまっているようです」

 故障の癒えたセンテノは、2011年ベネズエラン・サマー・リーグで本格的にプロキャリアを始める。ただしこのリーグはプロリーグと言っても、アカデミーのグラウンドで公式戦を消化し、観客は「大入り」のプレーオフでも100人ほどだったとセンテノは回想する。

 ベネズエラで3シーズンプレーした後、センテノは晴れて、アメリカ行きの切符をつかむ。2014年の配属先は同じルーキー級のガルフコースト・リーグだったが、ベネズエラでプレーする選手にとっては、そこは「栄転先」となる。しかし、その後もメジャーへの道は極めて険しい。

 結局、センテノは、メジャーへの本格的な登竜門と考えられている2Aの手前、HI-A(A級の上級クラス)のフロリダステート・リーグまで昇格したが、ここでレイズからリリースされる。翌年ツインズのルーキー級からの再スタートとなると、アメリカでのキャリアに見切りをつけ、日本の独立リーグに飛び込んだ。

 とは言え、彼の実力が独立リーグレベルにとどまらないことは、ここ4シーズン、メジャーリーガーも参加するウィンターリーグでプレーしていることが示している。現在彼は、故郷スクレ州に近いマルガリータ島を本拠とするブラボズに所属し、この冬もプレーの予定だ。

 そんなセンテノが日本に来て一番印象に残ったのが、故郷ベネズエラにはない高校野球だ。
「エースピッチャーは毎日投げるのには驚きました。本当に凄いことだと思います。ベネズエラも昔はそうだったようなんですが、今は、先発投手は週に1試合か2試合ぐらいしか投げないです。それも100球がめどですから。日本高校生が200球投げても、一日空いただけでまた200球投げられるというのは簡単なことじゃないと思います」

 この球数については、現在様々な議論が繰り広げられているが、ベネズエラ人には「日本の文化」と映っているようだった。

 後編は、元メジャーリーガーで、WBCの舞台にも立ったアレックス・トレースに語ってもらう。

群馬DPのベネズエラ人3人衆。右からヨンデル、センテノ、トーレス

文・写真=阿佐智