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2019.06.06 22:30
世界野球で無敵の強さを誇ったキューバ~後編~グローバル化の波にのまれるキューバ野球【WORLD BASEBALL vol.14】
前回はキューバ野球の歴史について紹介したが、今回はキューバ野球の現状について紹介する。
キューバ革命後、プロリーグ、「リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル」は1960-1961年シーズン限りで解散。1961年、社会主義政権はアマチュアリズムに基づいて16チームによる州別の地域対抗リーグ、「セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル」を結成した。
このリーグもまた、ウィンターリーグである。しかし他の中南米カリブ諸国のリーグと違い、開催期間は長期の半年に及ぶ。シーズン前半が予選で、後半は上位チームによる決勝リーグ、その後4チームがポストシーズンに進み、決勝シリーズでチャンピオンが決まる。
シーズンの各段階で振り落とされたチームからは上位チームへ補強選手が提供され、国内リーグ終了後には自動的にナショナルチームが出来上がるという仕組みだ。北半球ではセリエ終了後、野球シーズンを迎え、ナショナルチームは世界各地を転戦し、国際大会を総なめにしていた。
しかし、そのような状況も21世紀に入って以降変容を余儀なくされている。2000年シドニー五輪で野球競技においてもプロ選手の参加が解禁され、それまでは金属バットを使っていた「セリエ・ナシオナル」は木製バットに切り替えた。
プロ参加の流れの中、キューバはかつての圧倒的な強さを国際大会で見せることはできなくなり、選手の間にはより高いレベルでのプレーへの欲求が高まった。
そして、MLBがマーケティング網、スカウト網を全世界に拡大した結果、メジャーリーガーの報酬が急騰すると、トップキューバ人選手の亡命が相次ぐようになった。
それまでも「英雄」オマール・リナレスが、五輪出場3度などの功績を認められ、2002年から04年まで中日でプレーするなど、例外的に国外プロリーグでプレーすることを認められることはあった。だが、基本キューバ人選手がプロとしてプレーするには違法な亡命という手段を取らねばならなかった。
しかし、相次ぐトップ選手の流出を前に、キューバ政府も国内選手の国外プロリーグとの契約を許可せざるを得なくなり、2013年より「友好国」のプロリーグへの選手派遣を段階的に解禁していった。
この年、メキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツでアルフレッド・デスパイネ(ソフトバンク)を含む2人の選手がプレー。翌14年にはデスパイネが千葉ロッテに移籍、フレデリック・セペダが巨人、ユニエスキ・グリエル(アストロズ)が横浜DeNAと契約するなど、キューバ人選手が正式なルートを経て日本でプレーするようになった。この年からは、イタリア、カナダのプロ球団もキューバからの派遣選手を採用している。
そして、ついに昨年末、MLBとの選手派遣に関する協定も結ばれた。しかし、今年4月になってトランプ政権がこれを無効としたため、キューバ人選手がアメリカでプレーする手段は亡命しかないという状況は続いている。
真のトップ選手がMLBに流出している現在、国際大会において、キューバは「第2代表」とでもいうべき国内選手中心の布陣で臨まねばならない現状で、かつての「アマチュアの雄」は苦境に立たされていると言っていいだろう。
文・写真=阿佐智