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野球ドキュメンタリーの先駆者 侍ジャパン専属カメラマンが撮る”真実”【Global Baseball Biz vol.35】

J SPORTSに所属する、侍ジャパン専属カメラマン三木慎太郎さん

【写真:戸嶋ルミ】

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 昨今はオフシーズンになると、各球団が球団公式のドキュメンタリー映像を公開するようになった。先駆けて取り組んだのは、横浜DeNAベイスターズが始めた『ダグアウトの向こう』だった。球団創設初年度の2012年シーズンからフィルムを回し始め、現在は『FOR REAL』と名を変えて8シーズンも継続されている。”野球の裏側”を映した映像は非常に大きな反響を呼び、プレー以外の面でも選手やチームに心惹かれるファンが続出した。

 現在、この取り組みは野球日本代表の侍ジャパンでも行われている。撮っているのは、三木慎太郎さん。現在はJ SPORTSに所属する、侍ジャパン専属カメラマンである。侍ジャパンあるところには必ず三木さんがカメラを携えて帯同しているのだ。

J SPORTSに所属する、侍ジャパン専属カメラマン三木慎太郎さん

【写真:戸嶋ルミ】

 今回は三木さんから、なぜドキュメンタリーをはじめたのか、侍ジャパンを撮るようになったきっかけなどを伺った。

■東日本大震災で野球が止まった

 三木さんは元々テレビの制作会社でバラエティや音楽番組などを担当していたが、出向でJ SPORTS(当時はSKY sports)へ移ることになる。そのタイミングで野球中継が地上波以外でも放映されることになり、そのままJ SPORTSへ転籍。

J SPORTSでは野球中継のほか、『ガンバレ日本プロ野球!?』など野球関連番組の制作に携わっていたが、2011年に東日本大震災が発生し事態は急変する。

「震災のとき、野球が”止まった”んですよね。普段色んな所に撮影や取材しに行っていた自分が、1ヶ月くらい会社の机に座ったままで……日本全国が自粛ムード、電気も使えないような状況の中『これからどうなるんだろう』と思っていました」

その時たまたまベイスターズの親会社がDeNAになるいうことを聞き、一念発起した三木さんは横浜DeNAベイスターズの球団職員へ転職。取材する側からされる側になったのだ。

■『ダグアウトの向こう』誕生秘話

 今まではテレビの制作や営業をやっていたが、球団に入って立場は逆転する。中の人間という強みを得て、今までやれなかったことができるのでは? と思ったそうだが、なかなかうまくいかなかった。

「ならば自分でやってしまおうと思い、二十年以上ぶりに自分でカメラを回し始めました。そうして作られたのが『ダグアウトの向こう』です」

巨人―DeNA23  6回、逆転3ランを放ち白崎(29)に迎えられるDeNA・筒香=東京ドーム

【写真:共同通信社】 巨人―DeNA23  6回、逆転3ランを放ち白崎(29)に迎えられるDeNA・筒香=東京ドーム

当時は、自分で撮って自分で編集までやる球団職員というのは居なかったのではないか、と三木さんは言う。もちろん最初からすんなりとカメラを受け入れてもらえたわけではなかったが、自身が球団職員だったということもあり、思いの外撮ることができたそうだ。最初は他球団から批判も受けたこともあったが、完成された作品が世に出ていくことで、この取り組みはセ・リーグを中心に徐々に認識されていくようになっていった。

■侍ジャパンの発足

 現在の世代別野球日本代表、”侍ジャパン”形式が始まったのは2013年のことだった。2012年から3シーズンをベイスターズで過ごし、自分の中である程度区切りがついたと思えるタイミングで、三木さんはJ SPORTSに戻ることを決断。その大きな理由が侍ジャパンの発足だった。侍ジャパンを撮ると、心は決まっていた。

2014年末でベイスターズを退職し2015年1月からJ SPORTSに戻ったが、当時は選手ドキュメンタリーを撮ると言っても前例がないためなかなか理解してもらえなかった。そこで、月に一度放送する侍ジャパン公認番組『結束!侍ジャパン』を制作し、地道に撮影を続けていき、U-12から大学代表までのアマチュアも並行して全世代代表を撮り続けた。

J SPORTSに所属する、侍ジャパン専属カメラマン三木慎太郎さん

【写真:戸嶋ルミ】

三木さんの取り組みが認知され浸透してきたタイミングで迎えた、2017年WBC。

「そのときに初めてチーム便のバスに乗せてもらいました。当時はまだベンチやロッカーには入れなかったですが……」

すべてを世に出すことが必ずしも良いこととは限らないが、今の時代は選手もある程度は素顔を出すようになってきたのではと三木さんは言う。

ちなみに今まで訪れた中で一番印象に残っている球場は、2018年の第2回WBSC U-23ワールドカップで訪れたコロンビアの球場だという。バランキージャという街にあり、ホテルから球場に行くのにパトカーと白バイが何台も警備につくほど治安が悪かったそうだ。

「会場のエドガー・レンテリア・スタジアムはスラム街の中にあり、間違っても観光で行くような場所ではないんです。本当にここで試合やるの?! というような環境でした。野球って、ワールドカップってこんなところでもやるのかと衝撃を受けましたね」

■世界中で撮るようになって

J SPORTSに所属する、侍ジャパン専属カメラマン三木慎太郎さん

【写真:戸嶋ルミ】

 世界中の球場を撮って回る三木さんに、大切にしていることや気をつけていることは何かを伺った。

「健康第一ですね。今回のプレミア12も、事前にインフルエンザの予防接種を受けました。感染したら隔離状態になって撮れなくなるし、選手にも迷惑がかかってしまいますから。昼の2時あたりから夜11時くらいまでずっとカメラを回すとなると、やはり健康が一番大切かなと」

実は今年の秋に撮影で海外に行った際、現地でぎっくり腰になってしまったという。プレミア12も控えていたため、帰国してからは治療に奔走したそうだ。カメラマンとは心身ともにハードな職業である。

そんな中でもやりがいを感じる瞬間は、話題になっているときや、反響を得られたときだという。

「『こんなところまで撮ってるんだ』『こんなことが起きていたんだ』という声を聞けたときは、自分にしか出来ない仕事をやれているのかなと。反響をいただけるのはうれしいですよね。今回のプレミア12ではかなりいろんなところまでカメラが入っているので、どこまで出せるかはわからないですが、結構写してますよ」

J SPORTSに所属する、侍ジャパン専属カメラマン三木慎太郎さん

【写真:戸嶋ルミ】

「試合の様子は中継を見ていればわかりますからね。プレー中はカメラを持ってグラウンドに上がることは出来ないですが、プレー前や後なら撮れる。最近は選手の会話などを撮ることに重きを置いていて、そこには中継を観ているだけでは知り得えないことがたくさん詰まっています」

実際に球場で観戦してみるといろんなことが見えてきて、勝ち負けは重要な要素だが、実際のところは断片的なものであることがわかる。あの選手とこの選手は仲がいいとか、あのコーチや監督はなんて言っていたのか……試合の裏側でどんなことが起きていたのかを記録したドキュメンタリーを観ることで、試合の記憶を補完し、より”真実”に近づくことが出来るのだ。

「次は2020年の東京オリンピックですが、オリンピックは権利の問題上撮れないんです。でもこれまでの作品を観て何とか理解を得られたら、と願っています。商業的なことではなく、野球界全体の問題――少子化や競技人口減少などの課題に対しても何らかの寄与ができるのではと思うので」

 三木さんは「これからも観てもらって喜んでもらえるようなものを、そして侍ジャパンがオリンピックに向かってどう進んでいこうとしているのかを伝えたい」という。また、今後は後進の育成にも力を入れていきたいそうだ。

J SPORTSに所属する、侍ジャパン専属カメラマン三木慎太郎さん

【写真:戸嶋ルミ】

三木さんが始めたこのドキュメンタリー撮影は、今時点ではエンターテイメント性を含んだものであっても、数年後・数十年後には貴重な記録資料となることだろう。2020年2月には『侍の名のもとに~野球日本代表 侍ジャパンの800日~』が全国劇場で公開される。稲葉篤紀監督が就任して以降、2年以上三木さんが撮り続けた侍たちの完全密着ドキュメンタリー映画だ。日本の野球の現在地を知ることができる、唯一無二の映像であることに間違いない。ぜひ一人でも多くの人に真実の目撃者になっていただきたい。

>完全密着ドキュメンタリー映画「侍の名のもとに~野球日本代表 侍ジャパンの800日~」

文:戸嶋ルミ