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目立たなくてもチームに欠かせない存在でありたい<前編>【Baseball Job File vol.27】

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プロ、アマを問わず野球界にかかわるさまざまな人々にスポットを当てる連載。今回は、高校卒業後アメリカへ渡り、その後四国アイランドリーグで活躍したのち、埼玉西武ライオンズで球団スタッフとして活躍する木幡翔氏を取り上げる。

最初は通訳をしていたが、自らの意思で打撃投手への道を選んだ木幡氏に、チームスタッフとしての心得ややりがいなどを伺った。

埼玉西武ライオンズで球団スタッフとして活躍する木幡翔氏

■子どもの頃から目立つ存在にはなりたくなかった

──木幡さんが野球を始められたのはいつ頃だったのでしょうか?

木幡 小学2年生の後半ぐらいからです。小学1年生のとき、サッカーを始めたのですが、転校先にあったチームが小学2年生は入れないというルールがあり、続けられなくなったんです。もともと、父親が草野球を熱心にやっていたこともあり、子どもにも野球をやってほしいんだろうなという気持ちは感じていたので、サッカーがやれないなら、野球をやろうかなといった感じでした。

──小さい頃から運動は好きだったんですね。

木幡 はい。体を動かすことは好きでしたね。自分でやるのは好きだったんですが、テレビで野球中継を見ることはほとんどありませんでした。それでも、子どもながらには、将来はプロ野球選手になりたいという気持ちは持っていました。

──高校までは地元・北海道でプレーをされていましたが、そのときはどのような選手だったのでしょうか?

木幡 昔から負けず嫌いだったので、やるからにはうまくなりたいという気持ちで練習に取り組んでいました。でも、チームの中で目立ちたいとは一度も思わなかったんです。目立たなくてもいいから、お前がいないとチームは成り立たないと言ってもらえるような選手を目指していましたね。

──誰もが目立ちたいと思う人が多い中で、最初から縁の下の力持ち的な存在に憧れたのは、何か理由があったんですか?

木幡 特に、これっていうのはないんです。なんとなく、人気者じゃないんだけど、こいつがいないとダメなんだよなっていう存在が、かっこいいって思っていたんです。

■一度は断念した夢が、現実のものに!

──北海道で有数の強豪校に進まれたのち、アメリカに渡って野球を続けられましたが、どのような経緯があったのでしょうか?

木幡 大学附属の高校に進学したので、日本の大学に進むことは考えていましたが、野球は高校で区切りをつけようと選択肢もあったんです。自分の実力もわかっていましたし、このまま続けても伸びしろはないのかなと……。こんなふうに進路で悩んでいるとき、当時の監督から電話をもらって、アメリカの大学で野球ができるけど、行ってみないかと誘われたんです。

中学の頃からメジャーリーグ中継は見ていたので、野球なしでもアメリカに行ってみたい気持ちを持っていたので、「はい、やります!」と即答しましたね。

──憧れの地で野球ができることへの喜びが、プレーを続ける意欲になったわけですね。

木幡 監督から話をいただく前、両親には野球抜きでアメリカに行かせてほしいと話していたんです。でも家庭の事情もあり断念せざるを得なかった。だから、アメリカに行けるだけでなく、野球ができるって言われたわけですから、すぐに飛びつきましたよね(笑)。

■突然のオファーを快諾し、現役にピリオド

──アメリカには何年ぐらい行かれていたのですか。また、アメリカで野球をプレーしてみて感じたことなどはありましたか?

木幡 2005年から2010年の秋頃までいましたので、期間としては約5年ですね。アメリカでプレーしてみて感じたことは、意外と基礎をしっかりするんだなという点ですかね。

──練習時間が短かったり、自主性を尊重したりと日本との違いが言われることが多いですが、その点は?

木幡 日本の大学野球を経験していないので、アメリカの大学野球と比べることはできませんが、大きな違いっていうのはそれほど感じなかったと思います。なぜなら、僕が通っていた大学は野球に対して厳しい学校でもあったので、高校野球と変わらないと言ったら語弊がでるかもしれませんが、かなり練習しましたから。

──帰国後は、四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスで2年間プレー。その後埼玉西武ライオンズの通訳になられましたが、きっかけは何だったのでしょうか。

木幡 当時、高知には僕を含めて英語を話せる選手が3人いたんですが、当時の監督が「通訳の話があるけど興味はないか?」って言われたんですね。僕としてまだ選手を続けるつもりだったのですが、一応、「興味はあります」と話して球団の人と面接することにしたんです。その後しばらくして、話はなくなったと思っていたら、「ぜひ、お願いします」と連絡がきました。

──現役も視野に入っていながら、通訳の仕事を受けられた理由は?

木幡 現役を続けようとは思っていましたが、このままプレーを続けても、NPBには入れないということは自分でもわかっていました。だから、未練もなく通訳として頑張っていこうと思いました。

<後編へ続く>
目立たなくてもチームに欠かせない存在でありたい<後編>【Baseball Job File vol.28】

埼玉西武ライオンズで球団スタッフとして活躍する木幡翔氏

▼プロフィール
木幡翔(こはた・しょう)
1986年6月28日生まれ、北海道出身。
小学2年生から野球を始め、高校は北海道の強豪校として知られる東海大四(現・東海大札幌)へ進学。
高校卒業後は、アメリカへ渡り、大学や米独立リーグなどで腕を磨いた。
2011年に日本で戻り四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグスで2年間プレー。
2013年から埼玉西武ライオンズで通訳となり、2017年から打撃投手として活躍している。

取材・文/松野友克