- 社会人野球
2019.07.08 12:00
地元で再起した元ヤクルト左腕。成長した姿で再びあのマウンドへ 児山祐斗(シティライト岡山)【Future Heroes Vol.20】
7月13日に東京ドームで開幕する第90回都市対抗野球大会。中国地区第2代表として、本大会初出場を勝ち取ったシティライト岡山の「左のエース」として活躍しているのが、地元・岡山出身で、2016年までヤクルトに在籍した児山祐斗だ。
岡山・関西高時代はエースとして高3春のセンバツに出場。本命視されていた夏の甲子園出場は逃したものの、秋のドラフト会議でヤクルトから5位指名を受けた。出どころが見えづらく、打者に迫るような近さのあるリリース。その将来性を買われての指名だった。
プロ入り2年目の2015年は、オープン戦で1軍に帯同。左のリリーフ候補として期待され、ファームでも17試合に登板した。3年目の2016年には自己最多のファーム19試合に登板したが、防御率は前年を下回る5.73。入団以来1軍公式戦での登板がないまま、オフに戦力外を告げられた。
他球団移籍の一縷の望みをかけ、12球団合同トライアウトを受験。高校時代に躍動した甲子園で懸命にアピールしたが、“吉報”は届かなかった。
NPBに残ることはできなかったが、トライアウト受験の前後にいくつかの連絡が届いていた。それが、国内の独立リーグと地元の社会人野球チームであるシティライト岡山からのオファーだった。
「NPB復帰にこだわるのなら、独立リーグのほうが可能性は高い。けれど、戦力外通告を受けて『自分が何をしたいのか』を考えたとき、まっさきに浮かんだのが、地元である岡山への恩返しでした。その思いがあったので、シティライトからお話をいただいたタイミングで即決しました」
東京から岡山に戻り、2017年にシティライト岡山硬式野球部に入部。入社から2年間は、ヤクルト時代と同じく中継ぎでの起用がメイン。「元プロ」として周囲の期待も大きかったが、今ひとつ結果が伴わなかった。
練習のみならず、中古車販売をメインに行っている同社の業務への取り組みも真面目。そんな左腕に何とか“きっかけ”を与えたいと案じていた桐山拓也監督は、児山の配置転換を決断。チーム随一の安定感を誇る右のエース・後藤田崇作に次ぐ先発投手として起用することにしたのだ。
児山本人も長いイニングを投げ切るために何が必要かを考え、変化球の精度向上に力を注いだ。「キャッチボールの段階からラインを作れるように」と、ベース上でのコースを意識しながら、毎日の一球一球にこだわり続けた。その結果、「今では、それぞれの球種を操れている手ごたえがあります」と顔をほころばせる。
都市対抗予選では、第2代表決定戦で先発を任された。1点リードで迎えた9回、一打同点のピンチを招いたが、最後の打者を見逃し三振に切って取り、2007年の創部以来、チームの悲願だった本大会初出場をつかみ取った。優勝決定の瞬間をこう振り返る。
「最後のアウトを取った瞬間は、喜びよりもホッとしたのが、正直な感想でした。社員の方々も球場に駆けつけてくださったなかで、決めることができて本当によかったです」
先発転向を告げた指揮官も「ピッチングに落ち着き、頼もしさがありました。『左のエース』と呼べる存在になってくれた」と成長に賛辞を贈る。
チームだけでなく、自身にとっても初となる都市対抗について、こう意気込みを語る。
「故郷の岡山のチームでプレーできていることを、本当にうれしく思っています。本大会でも予選と変わらず、チームの勝利に貢献するピッチングをしていきたいです」
戦いの場である東京ドームのマウンドは、プロ2年目のオープン戦で経験している。しかし、当時は1軍経験豊富な打者たちに圧倒されるばかり。「ほとんどの人が僕の登板を覚えていないんじゃないかな」と苦笑するが、プロの舞台から去ったあとも野球に向き合い続けた左腕は、当時よりも数段たくましく成長している。
「スワローズにいた児山」ではなく、「シティライトの児山」として。故郷と手を差し伸べてくれたチームへの感謝を胸に東京ドームのマウンドに立つ。
文・写真=井上幸太