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侍ジャパン

第2回WBCを制した2009侍ジャパン打撃コーチ・篠塚和典に聞く
「日の丸の重み」を乗り越え、栄冠をつかむために必要なもの  記事提供=Baseball Crix

(C)Baseball Crix

 2000年のシドニー五輪を機にはじまったプロ選手の国際大会へ出場。以降、聞こえてくるようになったのが「日の丸の重み」という言葉である。毎年、厳しいペナントレースを戦い抜いてきた一流選手たちであっても重圧を口にし、実際に極度のスランプに陥ったり、ありえないミスを喫する選手も現れる。
「日の丸の重み」に屈することなく、国際大会を平常心で戦うためにはなにが必要なのか? 2009年の第2回WBCにおいて、打撃コーチとして侍ジャパンを支えた篠塚和典氏に話を聞いた。

大事なのは、いかに選手たちがゲームにすんなり入れるようにしてやるか

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──篠塚さんは、2009年の第2回WBCで侍ジャパンの打撃コーチを務められました。そこで感じた重圧は、やはり特別なものだったのでしょうか?

篠塚 正直言うとね、俺は感じていなかった。きつかったのは選手や監督だろうね。シーズンでは一度負けても取り返しがつく。でもWBCのような短期決戦は、完全なトーナメントではないにしても、ひとつの敗戦による影響が大きいから。

──大会中、「この選手は緊張しているな」「背負い込んでいるな」といったことを感じ取ることはありましたか?

篠塚 あったよね。そういう選手に対するケアが、ああいった大会でのコーチの大きな役割だと考えていた。一流の選手たちが集まってきているのだから、そこで技術を説いてもあまり意味はない。極端に調子の悪い選手の練習に付き合ってアドバイスすることはあったけれど、大事なのは、いかに選手たちがゲームにすんなり入れるようにしてやるかということ。

 いまの侍ジャパンは、かなり前から集まって、強化試合を行ったりするようになったでしょう。ああいう機会があると、コーチは選手の性格をつかめると思う。それは大会中のコミュニケーションなどにも生きると思うよ。

──2009年は、チームが顔を合わせるのは直前だった。

篠塚 なにせ初戦が3月5日だったのに、2月中旬の宮崎合宿で初めてユニフォームを着て顔合わせしたんだから。あの期間で話をしたり、声かけたりをしっかりやった。選手の性格を知ったり、ユニフォームを着ていないときに、どういう選手と一緒にいるのかを見たりね。それを材料に大会中のチームのムードづくりをやりました。

 野球そのものは、個人の力量次第というところもあるから、パッと集まって戦うのでも、ある程度やれるんだけどね。ペナントレースでも、新しい戦力が入ったチームがポーンと抜け出すことはよくあるでしょう。

大きかった“愛されキャラ”川﨑宗則の存在

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──ただ、チームの雰囲気づくりという面では難しさもある。

篠塚 コーチの働きかけだけでは限界がある。選手のなかにも率先してコミュニケーションをとっていく選手が出てくることが大事だと思った。我々のときはムネリン(川﨑宗則/当時ソフトバンク、現在はカブス3A)がいたからね。彼は練習中ずっと声を出してみんなを元気にさせてくれたし、試合中もベンチを盛り上げていた。

 イチロー(当時マリナーズ、現在はマーリンズ)にもガンガン言えたのはあいつくらいしかいないから。イチローも助かったんじゃないかと思う。ユニフォームを脱いでも一緒だったからね、あのふたりは。

──川﨑選手が重圧を和らげ、皆が平常心で戦うための雰囲気づくりで良い働きをしていたと。

篠塚 そうそう。年上の人にも臆さず冗談を言えてしまう。かわいがられる性格だったからね。彼のおかげでベンチが暗くなることはほとんどなかった。ソフトバンクで年長者になっても、メジャーに行っても、そういう姿勢、キャラクターは変わっていないよね。彼がいたことは本当に大きかった。今回もそういう選手が出てくると、チームは力を発揮しやすくなると思う。ただ、いまのところはちょっと見当たらないね。

──篠塚さん自身は「日の丸の重圧」はなかったということですが、それでも第1回大会のドラマチックな優勝があって、その再現を期待するファンの声などもあったと思うんです。そうした期待が重くはありませんでしたか? 日程が進み、勝ち上がるごとに声援は熱狂的になっていきました。

篠塚 俺たちはアメリカに渡ってしまうと、その辺がわからなくなっていたからね。関係者からはすごく盛り上がっていると聞くこともあったし、家族からも会社や学校で、携帯で試合を見ている人がたくさんいるとか教えてもらっていたけれど。向こうはとにかく野球をやるしかない環境で、かなり集中できていたと思う。

 最初はアリゾナでキャンプをして、サンディエゴで試合をやってと。どちらも暖かかったし、どの球場もすごくいい雰囲気だった。そのころのコーチとしての仕事は、状態の確認と状態の悪い選手のフォローになってくるんだけど、長い時間一緒にいるうちに選手のルーティンみたいなものが見えてくるので、コーチとして関わりやすくなっていたよね。

 あとは原(辰則)監督(当時・巨人監督、現・球団特別顧問)が、すごくよく選手の準備を見ていたというのが印象に残っている。

──本当に、気持ち良く戦えていたのが2009年だったわけですね。そして、その先に優勝があった。

篠塚 キャッチャーに、メジャーでやってきていた城島健司(当時・マリナーズ、現・タレント)がいたのも、チームに自信を与えていた。ピッチャーはかなり支えられていたと思うよ。あと忘れてはいけないのはデータの存在。ピッチャーにとっても、バッターにとっても、すごく大きかったと思います。ベンチにしっかりとしたデータがきていたから、それはかなり支えになったよ。先発投手はもちろん、リリーフも全部スコアラーがデータを用意していた。

 それに加えて、メジャーでプレーしている選手はみんな、向こうで対戦したことのある選手の特徴を教えてくれたしね。そういった、適切な準備も不安にならずに戦えた要因。いま思い出すとね、最初に宮崎で選手と会った時点で、持てる力を出してさえくれれば「こいつらだったら負けないな」って思いましたもん。それを実際にできたのが、あの大会だったと思うね。

(プロフィール)
篠塚和典
1957年、千葉県生まれ。1974年、2年生にして銚子商の4番に座り、春夏連続で甲子園へ。春は8強、夏は優勝に導いた。1975年秋のドラフトで、長嶋茂雄監督の強い希望で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。1994年に引退するまでの19年で優勝8回、日本一3回を経験し、首位打者にも2度輝いた。引退後は、1995~2002年、2005~2010年と2度にわたりジャイアンツでコーチを務めた。2009年には野球日本代表の打撃コーチとしてWBCでの優勝にも貢献。

取材・文/Baseball Crix編集部 写真/榎本壯三

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