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プロ野球

阪神ドラ2井上 “特別ルール”努力の才能をさらに伸ばした

 ◇虎ルーキーの素顔に迫る 最高峰の舞台にトライ ドラフト2位・井上広大(1)

小学校時代、ソフトボールで投手をする井上 

 阪神ドラフト2位の井上は、大阪府大東市で生を受け、運動好きの活発な少年として育った。小学生時代は地元のソフトボールチームに所属。ある1本のアーチがきっかけで履正社への強い思いを抱いた。

 一本のアーチに魅せられ、夢が決まった。2010年夏の甲子園大会。小学3年生だった広大は、この時から履正社への強い憧れを抱いていた。

 「自分も履正社に入って甲子園で本塁打を打つ。そしてプロ野球選手になりたい」

 運命の一戦は履正社―聖光学院だった。履正社が2点劣勢で迎えた6回。山田哲人(ヤクルト)が、歳内宏明(元阪神)から放った同点2ランに心を奪われた。乾いた打球音とともに放物線を描いて左翼席へ。試合には敗れたが、「RISEI」のユニホームがどこまでもまぶしかった。

 「人生初打席でホームランです。とても印象に残っています」

 一振りで白球のとりこになった。小学2年の時、地元の少年ソフトボールチーム・ANTブルージェイズの体験練習に参加。初の打撃練習で豪快にスイングすると、特大弾となり周囲を驚かせた。

 母・貴美さん(51)の方針もあり、保育園年長から水泳と空手に親しんだ。小学1年からは空手に代わって柔道を習い始めた。だが、両手に残ったあの感触がある限り、ソフトボール以外の選択肢は考えられない。他の全てをやめて、ANTブルージェイズに正式に入団した。

 着実に才能を示し始めた裏にはライバルの存在があった。一学年上の谷本英駿さん(19)だ。広大は小学3年の頃から高学年クラスの試合に出場。周囲からは「絶対にプロにいける」と評されたが、谷本さんとは交代で試合に出ていた。「先輩と交代で出ていたこともあって、追いつき追い越したいという気持ちがあり猛練習した」。好敵手と切磋琢磨(せっさたくま)することで打球の飛距離は年々伸び、スラッガーとしての頭角を現していった。

 努力する才能もあった。小学5年の時には、谷本さんの父である篤司さん(54)が監督に就任。それからは通常の週末練習に加え、平日の夜間練習にも毎日付き添ってもらうようになった。「これまでで一番精神的にもきつかったのが小学校の時の練習」。そんな広大の言葉とは裏腹に、谷本監督の脳裏には積極的に練習に打ち込む姿がある。

 「雨で練習を中止にしても、広大はすぐに“雨やんでますよ、練習しましょう”と言ってくる。本当に練習熱心な子でした」

 谷本監督が就任以降は、チーム内に新たな“特別ルール”が設けられた。広大のみ二塁打以上しかヒットとみなされず、本塁打も会心の当たり以外は認定されなかった。それでも小学5年ではチーム内での本塁打王、6年の時には三冠王に輝いた。谷本監督は言う。

 「当時から飛ばす飛距離も周りの子とは別格でした。何でもそつなくこなしてしまうタイプ」

 周囲の期待も背負いながら、着々と夢への階段を駆け上がっていった。全ては甲子園で本塁打を打つという目標のため。さらなる高みを目指し、中学からは硬式で腕を磨くことを決意した。

(阪井 日向)