- 高校野球
2019.08.11 09:53
15年ぶり帰って来た広島商 新しい挑戦は道半ばで【第101回全国高校野球選手権大会第5日】
「広商が出てこなきゃ」と懐かしむファンは多い。
夏の優勝6回、広島商が2004年以来、失われた15年を経て、夏に帰ってきた。
かつて、広商と聞いただけで対戦校がひるんだ時代があった。
攻撃では粘って四球をもぎ取る、ランナーはバントで送る、犠飛やスクイズで1点を積み重ねていく。守備では四球は与えない、エラーもせず、走者は進塁させず最小失点にとどめる。
そんな高校野球の手本の一つにされてきたのが広島商の野球だった。真剣刃渡りをして精神を鍛えた、なんていう時もあったとか。
しかし、広商ブランドは私学の強化やパワー全盛など、時代の流れとともに取り残されていった。
94年のセンバツに選手として、04年は副部長で甲子園を経験している荒谷忠勝監督が2018年夏、監督に就任して改革に乗り出す。
毎日、野球日誌をつけて目標達成などを書いて提出した。練習が終わってから、一発芸大会をやったこともある。こういった技術以外の取り組みに加え、地道な練習で広商野球を進化させてきた。
岡山学芸館との隣県対決となった1回戦。広商らしいプレーが随所に見られた。
1点を先制されて、すぐ、2回表に追いついた場面。
4番の真鍋駿(3年)がヒットで出塁する。続く5番の花崎成海(3年)は184センチ、92キロのの巨漢一塁手だ。
「広商に入ったからにはバントができないと試合で使ってもらえません」
器用に初球を鮮やかに送りバントを決める。7番の杉山裕樹(3年)がこれも初球、セーフティースクイズを決めた。
9回にも大事なバントシーンがあった。
1点をリードされて、先頭の杉山がヒット。代打で佐山葵(3年)が起用される。ここでの作戦は同点に追いつくため、バントしかありえない。
「県大会でもバントでの代打はありました。サインではなく打席に立つ前に、バントでいくぞ、と言われました。厳しい場面を想定して練習をしてきたので、バントには自信があります」
佐山も初球で決めて、スコアリングポジションに走者を送った。
初球で決めることで、攻撃のリズムがでて、勢いがつく。
どんな練習をして技術を磨いて来たのか。佐山が言う。
「バント練習はゆっくりしたボールで繰り返し行うときがあります。バントの〝形〟を体に染み込ませました。たとえ緊張していても形がしっかりしていれば、バントが成功するという体験もしました。形の良さでA、B、Cとランクづけしています」
守備では走者をタッチプレーや挟殺でアウトにするシーンが3回もあった。
まず6回。2死一、二塁からライト前ヒットで1点を許すが、ライトからの返球をショートの水岡嶺(3年)が取ってファーストへ転送、打者走者をアウトにした。
7回1死一、三塁から一塁走者が盗塁。捕手からの送球で挟んでいる間に三塁走者がホームへ走り出すと、水岡がホームへ送球してタッチアウトにした。
8回は1死二、三塁からショートゴロ。水岡がホームへ送球して三塁走者をタッチアウトにした。
荒谷監督も「水岡は走者を見ていて、普段通り、やってくれた」と褒めた。
その水岡が言う。
「(6回)ランナーがボーっとしているのがわかった。普段から練習しているプレーです。(7回、8回も)ノックで実戦を想定して練習している。落ち着いてできました。
広商に入学して守備の面でたくさんの引き出しが増えました。荒谷監督のノックがうまくて、自分たちの力を最大限引き出してくれる」
花崎がつけ加える。
「ノックではランナー役の控え選手などから失敗したら〝何やってるんだ〟とか怒鳴られるプレッシャーの中でやっていました。甲子園でプレーするために厳しい環境でやって来た」
そんな精神をも鍛え上げる広商の環境でも、水が漏れることがある。
8回、水岡が好プレーをした直後の2死一、三塁。三遊間のゴロをサードの真鍋が飛びついて好捕。起き上がってファーストへ投げたが悪送球になって、一人が生還して、一塁走者の三進を許してしまった。
「間に合わないファーストへ投げてしまった、自分のミス」(真鍋)
次の打者にはレフトオーバーのタイムリー二塁打を打たれ、結局、逆転負けにつながった(5対6)。
このレフトへの飛球も強い風の吹いていたことなども考慮していれば、深い守備位置を取って、防げた得点だったかもしれない。
荒谷監督は2点リードを守れなかったのは監督が至らなかったから、と前置きしながら言う。
「送球ミスが出ましたし、ピッチャーは先頭バッターを出してしまった。堅守の部分の詰めの甘さが出た」
名門の復活は1日にして、ならない。
今年の部員は135人。人気は衰えない。
広商らしい選手がいる。北田勇翔二塁手(3年)は身長155センチの二番打者だ。
「1点を積み重ね、1点をやらない野球が広商の野球。それをしたいと思い広商にきました。真鍋や花崎ら大きい選手ができないこと、相手ピッチャーが嫌がるようなことをしようと、ずっと思っていました」
北田は広島県大会で長打は1本もなかったが打率、打点、四死球、犠打、盗塁の数はなんと、チームトップだった。
荒谷監督がさらなる進化を誓った。
「甲子園に出られて、いろんな方に喜んでいただけたのは前向きに捉えています。でも復活ということが選手の重荷になってはいけないと思います。
彼らは新しい取り組みをポジティブにやってくれた。今は道半ばです。15年、出られていない中で扉をあけてくれて感謝してます。夏に出ることの素晴らしさ、そして怖さを勉強しました。持ち帰って、新しい広商を築いていきたい」
文・清水岳志