- プロ野球
2016.10.20 15:28
[野球場に散らばった余談として] 今季も正捕手が決まらなかった阪神。 学ぶべきは広島ベテランの“生活感”!?
酒井俊作 = 文
Shunsaku Sakai
Hideki Sugiyama
やられた、完全にやられた……。新聞記者も顔負けの表現力に何度、うならされたことか。イヤホンの向こうから軽妙洒脱なトークが聞こえてくる。
「“生活感”のあるリードが……」
張りのある声でラジオ解説を務めるのは、’80年代に広島の正捕手を務めた達川光男さんだ。
野球のワンプレーを切り取って“生活感”と評する。
記事を書いていても、こんなフレーズ、およそ思いつかない。冷静で、したたかだった、現役時代の生きざまを見る思いだった。
実に味わい深いシーンに遭遇したのは、7月9日の阪神対広島(甲子園)だった。先発マスクをかぶる阪神の岡崎太一は一塁側ベンチから戦況を見て気づいたことがあった。
「試合では、いつも相手捕手を見るようにします。配球であったりね。石原さんは変化球の要求でも真ん中近くに構えていた。腕を振れるようにしていたのかな。江越に対しても、ほとんど真ん中に構えていたでしょ。岡田の真っすぐに自信があったからなのかまでは分からないですけどね」
■あえてド真ん中にミットを構える熟練の知恵。
広島はベテランの石原慶幸がルーキーの岡田明丈とバッテリーを組んでいた。
140キロ台後半の速球こそ投げるが、変化球が抜けたり引っ掛けたり、球筋は安定しない。すると、石原は1回から直球も変化球も、ミットをド真ん中に構えたのだ。とりわけ、3番江越大賀との勝負で顕著だった。1回1死一塁。2回2死満塁。いずれも、ほぼ真ん中にミットを置き続けた。迷いの消えた真っすぐを小気味よく投げると、いずれも空振り三振になった。後日、そのことを聞けば、石原はわずかに笑って言う。
「だって、そこしか構えるところがないからね」
ミットを構える位置にはプロ15年目、37歳の経験が詰まっていた。通常なら、ド真ん中は強打される危険ゾーンだ。だから、捕手は低めのコーナーなどで構え、致命傷を負わないように心掛ける。だが、この日は違う。制球が不安定だった岡田に四隅への緻密な配球を求めれば、かえって力みが生じ、投球を乱すリスクをはらむ。投手を気持ちよく投げさせること──。あえてド真ん中に構える大胆さには、石原が第一線でマスクをかぶり続ける理由がかいま見えた。これこそ、ベテランが醸し出す“生活感”だろう。岡崎もうなずく。
「僕が考える配球は、投手が思いきって腕を振れる状況を作ってあげることです。甘めでもいいから、真ん中に構えることで腕は振れる。コーナーに構えて、ちょっとだけでも外れてしまうのが一番、もったいないですからね」
■正捕手不在の現状を矢野コーチも危惧する。
正捕手は1日にしてならず。
シーズン4位に甘んじた阪神は、今年もレギュラー捕手が現れなかった。開幕マスクをかぶった岡崎は7月中旬に左手骨折で戦線離脱し、38試合の守備にとどまった。育成枠から支配下選手登録された原口文仁が捕手最多の87試合を守り、プロ3年目の梅野隆太郎が35試合、新人の坂本誠志郎が25試合でマスクをかぶった。まさに、帯に短したすきに長し。矢野燿大作戦兼バッテリーコーチも現状を危惧する1人だ。
「来年は今年のようなままじゃ、上位に行くチームになりにくい。競争は競争やけど、1人に絞れるくらいにならないと。強いチーム、勝っているチームは1人か2人に絞れてくる。まずはしっかり守ることで、チームとしての落ち着きもでてくるからね」
■セオリー通りの配球が失点につながることも。
9月下旬の広島遠征。若手の梅野、原口、坂本が同行していた。矢野は彼らを誘い、広島市内の焼き肉店へ。そこに第一線で投げ続ける投手も呼んだ。当然のごとく、野球談議になる。話題が投手の志向になったときだ。
「コーナーに完璧な球がドンピシャで決まったら、次の球はどうしたい?」
ある投手はこう返した。
「僕はもう1球、同じ球を投げたいですね」
別の投手は、まったく違う意見だった。
「いや、僕は同じ球は投げたくないですね。そこまでドンピシャに投げられるかどうか」
矢野は若者を見渡して、こう言ったという。
「同じ投手でも、これだけ考え方が違うんだ」
捕手は投手が考えていることを知り尽くしてこそ、ベストな配球につながる。細やかな経験を丹念に重ねていくことでしか、道は開けない。
あるとき、高めの速球に球威がある左腕の岩崎優に対して若手捕手が何度も低めに投げろとジェスチャーしていた。案の定、痛打を浴びていた。
■名捕手は常に投手目線、審判目線で考える。
ちょっとした余談で、締めくくりたい。
いまでこそ、円熟の妙味がある石原だが、ルーキーの頃はホロ苦い思い出もある。
ブルペンで投手の球を捕っていると、球筋をチェックするため、山本浩二監督(当時)が打席に立った。ぼそりと漏らしたのだという。
「音が鳴らないな……。キャッチングが悪いわ」
球界随一と評される捕球技術は、ここからスタートした。石原も「そういうのもあったから、試行錯誤しました。ちゃんとしたところで捕れば、音は鳴るんです」と述懐していた。
筆者が広島カープの担当記者をしていた5年ほど前、達川さんに石原の捕球について聞く機会があった。こんなことを言っていた。
「アイツはね、姿勢が低いんよ」
さらに言葉を継ぐ。
「構えを見ていても、考え方にしても、自分よりも相手を中心に考えている。審判が見えやすい姿勢で捕るのもその1つ」
上体が立っていれば後ろで構える球審の視界は狭くなり、死角ができる。捕手が低い姿勢を保てば、視界は広がり、ジャッジしやすい。
「プロで一番大事なのは、審判に見えやすいように捕ること。石原はね、常に投手サイド、審判サイドで物事を考えとるんよ」
相手を思いやれる人情があった。
“生活感”あふれる石原の歩みは、阪神の正捕手をうかがう若手にも、有形無形のヒントになるはずなのだ。