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プロ野球

ロッテ・井口監督 かけがえのない恩人が急死…未来へつなげる「愛基金」

 5月19日の楽天戦(ZOZOマリン)を終えたロッテ・井口監督は喪服姿で球場を出た。向かったのは、かけがえのない恩人の通夜が行われていた都内の斎場だった。

ロッテ・井口監督

 「自分の社会貢献活動を手伝ってもらった。いろんな意味でサポートしていただき、世の中のためにどういうことができるのかを教えてもらいました」

 指揮官の社会貢献活動の基礎である「愛基金」をともに運営し、縁の下で支えたアポロメディカルホールディングス・我妻(あづま)照男会長兼社長(享年66)が14日、肝臓がんで急死。1カ月ほど前に体調を崩して入院したまま、帰らぬ人となった。

 プロ入りした97年の3月に故郷・西東京市役所を訪問した際見た古びた車いすが、活動の原点。「支援が行き届いていなと感じた」。プロ入り後、ダイエー球団職員だった青学大時代のチームメート・鈴木伸彦氏(現福岡工大硬式野球部統括)の紹介で出会った我妻さんと00年に「愛基金」を設立。我妻の「A」と井口の「I」を合わせたものが「AI(愛)」基金だった。

 時には本業そっちのけで、ただ献身的にサポートしてくれる我妻さんを井口監督も心底、信頼した。「会長の還暦と自分の2000安打が同じ年で一緒にホノルルマラソンを走りました。家族でホームパーティーもしました」。二人の間にあったのは「友情」だった。その人柄にダイエーのチームメート・星野順治、杉内俊哉、新垣渚、川崎宗則も賛同。他球団も鳥谷敬(阪神)らが加わり、病院慰問、少年野球教室、AEDや車いす寄贈。東日本大震災の被災地支援と輪は広がった。

 私自身もホークス担当時代から面識はある。昨年プロ野球人の社会貢献活動を表彰する「ゴールデンスピリッツ賞」を受賞。2月、石垣島キャンプでの施設訪問でお祝いの言葉を伝えたのが最後だった。「井口君がやってきたことを考えたら(受賞は)遅いくらいだよ」。そう言いながらも、心底、うれしそうな笑顔だった。あまりに突然でまた、施設訪問の現場に行けば穏やかな笑顔で迎えてくれそうだ。

 「やってきたことは続けていければと思います」と井口監督。約20年間、続けた我妻さんの活動への思いは、しっかりと受け継がれていく。(記者コラム・福浦 健太郎)