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「やりたいと思ったらやってみる!」――“野球好き”を貫いてきた“元”セクシー過ぎるウグイス嬢【Baseball Job File vol.6】

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 プロ、アマを問わず野球界にかかわるさまざまな人々にスポットを当てる連載。

 今回は、かつて「セクシー過ぎるウグイス嬢」で一世を風靡した藤生恭子さんに、自らが切り拓いてきた野球漬けの人生、そしてウグイス嬢の心得と今後の夢などを聞いた。

藤生恭子(ふじう・きょうこ)/1979年生まれ、兵庫県出身。常総学院高から駒沢大へ進学。卒業後、日刊スポーツ編集局、エフエム岡崎のレポーター、四国IL・高知の職員などを経て2008年にオリックスの球団職員となり、2軍戦のアナウンスを担当。来場者増のために自らアレンジした独特のアナウンスが「セクシー過ぎるウグイス嬢」としてインターネット上で評判となり、メディアに紹介されて一躍有名になった。2012年にオリックスを退団し、現在は株式会社ベースボールプランニングの代表として人材育成・派遣業を行いながら、自らも現場でのMC業を続けている。

藤生恭子(ふじう・きょうこ)さん



■甲子園の薫りの中で、野球に目覚め、野球を追った

――藤生さんといえば「セクシー過ぎるウグイス嬢」です。もうかなり昔のことになったかと思いますが、今でも周りから言われることはありますか?

藤生 そうですね、言われますね、メッチャ(笑)。外見だけではあんまり言われないんですけど、アナウンスした瞬間に「アッ!」って気付かれることが多いですね。

 いろいろと取り上げてもらったのが2012年。7年ほど前になりますけど覚えてくれている人も多くて、「あの声でアナウンスしてくれ」ってリクエストされます。その時はもちろん喜んでやるようにしています(笑)。

――今現在はどういった現場でアナウンスすることが多いのですか?

藤生 今、野球の現場は「呼ばれた時に行く」という感じですね。専属としてやらせてもらっているのはサッカーのJFLのチームとバスケットのBリーグのチーム。その時は、スタジアムMC、アリーナMC、スポーツアナウンサーなんて呼ばれ方をします。現場に出るのは、だいたい月に5回ぐらいですかね。

――お話ししていると完全に関西弁ですが(笑)、出身は兵庫県の伊丹市?

藤生 はい。伊丹って甲子園に近くて、常連校の定宿があったりする関係で、甲子園の大会時期になると商店街を高校球児たちが歩き始めたり、駅にポスターが張り出されたりして、街が野球に染まっていくんです。

 子供の頃からその雰囲気が大好きでした。それで中2の時に初めて甲子園に応援しに行ったら、もう鳥肌が立って、完全にハマりました。その時に観たのが育英対横浜商大高で、育英はその年に優勝したんです。大村(直之)さんが1番を打っていたチームでした。

 なので、私がオリックスで働かせてもらうようになった時、周りの方に「誰に会えたのが一番嬉しい?」って聞かれた時も「大村さんです!」って。「メッチャ渋いな!」って言われましたね(笑)

■自分の色を出し、お客さんを球場に呼ぶために

――オリックスの職員として2軍戦のスタジアムアナウンサーとなったのが2008年。大学を卒業してからは様々な土地で、色んな経験をされたようですが?

藤生 就職活動の時は、とにかく「野球関係の何かがしたい」という感じでした。学生時代からアルバイトしていた日刊スポーツで卒業後もしばらく働いた後、ラジオ(エフエム岡崎)のパーソナリティー募集というものを見つけて、それに受かったのが24歳ぐらいでした。

 そして愛知に3年いて、一瞬、神戸に戻った後、今度は高知に行きました。独立リーグの職員として働かせてもらったんですけど、当時は全体の仕事が10あったとしたらアナウンスの仕事は0.2ぐらい。

 イベントの準備だったり、選手の管理、営業もやったり、とにかく職員の人数が少ないので何でもやりました。そういう中で、オリックスとの練習試合でアナウンスをしていたら、オリックスの方から声をかけてもらったという流れですね。

――そして、あの「セクシー過ぎるアナウンス」が生まれた。改めて、どういう経緯で誕生したのですか?

藤生 理由は結構、真面目なんです。最初にアナウンスする時に「何かマニュアルとかあるんですか?」って聞いたら「ないよ。好きにして」と。何も言われなくて、褒められも怒られもしない。その環境がすごく怖かったんです。

 「私のやり方、合ってるのかな?間違ってるのかな?」って。しばらく迷っていた時期があったんですけど、「やれるのは当たり前」で「それがプロだ」と思うようになって、その上で「どうやって自分の色を出していくか」を考えるようになった。

 そして当時、オリックスの2軍戦ってビックリするほどお客さんがいなくて、「お客さんを呼びたい」、「球場に来て欲しい」という気持ちも強くなって、自分のアナウンスでお客さんを呼べたらいいなと、いろいろと考えの中で“アレ”が生まれたという感じですね。

藤生恭子(ふじう・きょうこ)/1979年生まれ、兵庫県出身。常総学院高から駒沢大へ進学。卒業後、日刊スポーツ編集局、エフエム岡崎のレポーター、四国IL・高知の職員などを経て2008年にオリックスの球団職員となり、2軍戦のアナウンスを担当。来場者増のために自らアレンジした独特のアナウンスが「セクシー過ぎるウグイス嬢」としてインターネット上で評判となり、メディアに紹介されて一躍有名になった。2012年にオリックスを退団し、現在は株式会社ベースボールプランニングの代表として人材育成・派遣業を行いながら、自らも現場でのMC業を続けている。

■「やりたいと思ったらやってみる」

――今現在は、ウグイス嬢や場内アナウンサー、MCを育成・派遣する株式会社ベースボールプランニングの代表として活動されていますが?

藤生 以前から少しずつ始めていたんですけど、オリックスを辞めてから法人化して本格的にやり始めました。

 元々、誰かに教えるということが好きだということもありますけど、自分がウグイス嬢になりたいと思った時、なるための方法が分からなくて、その部分がすごく大変でした。なので、今から目指す人にそれを用意できれば、と。

――実際にウグイス嬢としてアナウンスする時に心掛けるべきものはどのようなことなのでしょうか?

藤生 よく「選手のために」と言うんですけど、私が心掛けているのは「審判さんが進行しやすいように」ということ。審判の方との連携が一番大事で、審判さんから「試合やりやすかったよ」って言われるのが一番の褒め言葉なんです。

 審判さんがやりやすいってことは試合のテンポが良くて、選手もやりやすい。そしてお客さんの拍手ですね。選手名をアナウンスした後に拍手が沸き起こる。お客さんが盛り上げることができれば、選手も気合が入ります。

 直接「選手のために」というよりは、審判さんとお客さんのためにやることが、選手のためになるんだと考えています。

――これまでの中ですごく覚えているシーンや試合はありますか?

藤生 よく覚えているのが、オリックスのファームの担当だった自分が一軍の試合に助っ人で呼ばれて行った試合ですね。

 その時、相手がソフトバンクで、その少し前にトレードで加入した荒金(久雄)選手が代打で登場して、普段はオリックスの選手ならオリックス側だけ、敵チームの選手なら敵チーム側だけが盛り上がるんですけど、その日は「代打・荒金」とアナウンスしたら両方のファンから拍手が起きた。

 同じくトレード加入した金子圭輔選手が代走で出た時も同じ現象が起きた。両方のファンがトレードした選手を受け入れて、球場全体から拍手が沸き起こって、すごく感動しました。

 自分がさせた訳じゃないんですけど、自分が言った言葉を発端にして球場一体となった。「スポーツって素晴らしい!」って思いました。

――今後、やってみたいことは?

藤生 いろいろやりたいことはあるんですが、今は海外ですね。海外で「日本人初」というようなことをやりたいんです。例えば、韓国プロ野球でアナウンスをしてみたい。

 というのも、韓国人の選手が私のアナウンスを聞いた時にすごい感動してくれて、「韓国はそんな風にはアナウンスしないんだよ」と教えてくれたんです。なので、韓国で日本人第一号のウグイス嬢としてやってみたい。
 
 全体的なこととしては、野球のアナウンスの資格、ライセンスみたいなものが出来ればいいなと思っています。

――では最後に、将来ウグイス嬢になりたい、これから目指したいと思っている人にアドバイスをお願いします。

藤生 とりあえずやった方がいいと思います。やりたいけど迷っていてどうしようって人は結構いると思います。私の会社にも、「1年ぐらいホームページを見てたんです」だったり、年齢が上だったりすることを気にして「やっと来れました」という人が多い。

 でも、何でも実際にやってみないと分からない。すっごい上手いかも分からへんし、逆に全然面白くないってこともある。でもそれはやらんと分からない。なので、とりあえず「やりたいと思ったらやってみる」ということを、私はオススメします!

藤生恭子(ふじう・きょうこ)/1979年生まれ、兵庫県出身。インタビュー写真

▼プロフィール
藤生恭子(ふじう・きょうこ)/1979年生まれ、兵庫県出身。常総学院高から駒沢大へ進学。卒業後、日刊スポーツ編集局、エフエム岡崎のレポーター、四国IL・高知の職員などを経て2008年にオリックスの球団職員となり、2軍戦のアナウンスを担当。来場者増のために自らアレンジした独特のアナウンスが「セクシー過ぎるウグイス嬢」としてインターネット上で評判となり、メディアに紹介されて一躍有名になった。2012年にオリックスを退団し、現在は株式会社ベースボールプランニングの代表として人材育成・派遣業を行いながら、自らも現場でのMC業を続けている。

取材・写真=三和直樹