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社会人野球

創部4年目!新興校のドラフト候補左腕。笠原 祥太郎(新潟医療福祉大)

「時は来た!ドラフト指名を待つ男たち」

笠原 祥太郎 かさはら・しょうたろう
新津高→新潟医療福祉大
投手・左投左打・177センチ85キロ・1995年3月17日生(21歳)

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 創部4年目の新興校を3部リーグから1部リーグ2位(今春)にまで押し上げたドラフト上位候補左腕。最速147km/hのストレートを軸に、縦に割れるカットボールやスライダー、チェンジアップを操る。昨秋は1シーズン73奪三振の関甲新学生リーグ新記録を打ち立て、今春は全国大会3季連続4強の上武大打線から8者連続三振を含む16奪三振を記録。6勝0敗、防御率0.72でベストナインにも選ばれた。

 そんな笠原だが、高校時代は無名の存在だった。出身の新津高は1984年春に甲子園出場しているものの、笠原がエースとなった1年秋以降の公式戦は4季連続初戦敗退。公式戦で挙げた勝利は3年春と最後の夏に挙げた1勝ずつで、たまたま進学を志望した新潟医療福祉大に硬式野球部が創設されると聞き、大学でも野球を続けることにした。
 そこで出会ったのが、創部とともに就任した佐藤和也監督だ。佐藤監督は新潟明訓高の監督として甲子園に春夏合わせ8度の出場を果たし、2010年には甲子園8強にも導いた新潟高校野球界の名将だ。その佐藤監督が退任前の最後の夏の初戦で対戦したのが、笠原がエースの新津高だった。
 その際に笠原は、後に甲子園に出場することとなる新潟明訓高を9回までリードし追い詰める好投も、勝利目前でサヨナラ負け(4対5)を喫し2回戦で高校野球人生を終えた。そこまで苦しめられた佐藤監督だったが、当時は「僕が最後の夏(監督退任)を公言しており、選手を緊張させてしまったと思っていました」という。しかし、その後一般入部してきた笠原の投球を見て「そうじゃなくて、本当に好投手だったんだなって(笑)。思わぬ授かりものです」と目を細める。

 そして3部リーグからコツコツと能力を高めてきた笠原。佐藤監督は「体も強いし、斜に構えるようなこともない素直な子。良い指導者と出会って花を咲かせて欲しいですね」と人間性を含め期待を込める。運命の糸に導かれたシンデレラボーイの快進撃はまだまだ終わらない。

文・写真:高木遊