BASEBALL GATE

プロ野球

「3年くらい、ずっと思っている」―元女房役も待つ早大ドラ1トリオの復活


早実の捕手として、斎藤佑樹投手(日本ハム)とのバッテリーで2006年夏の甲子園を制した白川英聖さん。早大に進み、斎藤とともに3本柱として活躍した福井優也投手(広島)、大石達也投手(西武)の球を受け、東京六大学リーグ戦で春秋4度の優勝を誇るなど、早大黄金期を築いた。卒業後は野球関係の仕事には就かず、大手総合商社に入社。28歳となった今、プロに大きな注目を浴びながら大学に進学した斎藤の変化、同学年で球を受けたドラ1トリオ復活への思いを聞いた。

■「今年はやってくれる」…元捕手・白川さんが明かす斎藤、大石、福井への思い

 早実の捕手として、斎藤佑樹投手(日本ハム)とのバッテリーで2006年夏の甲子園を制した白川英聖さん。早大に進み、斎藤とともに3本柱として活躍した福井優也投手(広島)、大石達也投手(西武)の球を受け、東京六大学リーグ戦で春秋4度の優勝を誇るなど、早大黄金期を築いた。卒業後は野球関係の仕事には就かず、大手総合商社に入社。28歳となった今、プロに大きな注目を浴びながら大学に進学した斎藤の変化、同学年で球を受けたドラ1トリオ復活への思いを聞いた。

 早大野球部の練習には、早実から進学したメンバーのほとんどが参加していた。しかし、徐々に人数が減っていき、最後まで残ったのはわずか4人だった。

「誰でも必ず通る道ですが、1年生は上下関係や雑用などが大変です。高校時代にやり切ってしまい、『燃え切らない』という思いがあったと思います」

 それでも、白川さんは退部を考えたことはないという。

「野球が好きでしたから。高校時代、チームとして成績も残していたので自信もありましたし、大学でもチャレンジしたいという気持ちがありました」

 早大では、2年生までは細山田武史(横浜―ソフトバンク―トヨタ自動車)が正捕手を務めていたが、ブルペンではずっと斎藤の球を受けていた。球を受けながら、高校時代からの成長を感じていた。

■時間を取られた会食、取材…「もう少し、集中できる環境があれば…」

「球の質が変わりましたね。言葉で言うのは難しいですが、高校の時は元気な球でした。大学の方が重みのある球を投げていましたね。安定感は大学の方がありました」

 斎藤は高3の大ブレイクでスカウトの注目を集めながらプロ志望届は出さず、進学を決断。早大に進んでボールの質は変わったが、甲子園の優勝で一躍人気者になった後も、斎藤自身に変化はなかったという。

「性格的に変わったということはないですね。大学は高校より練習の質を重視していたので、高校の時より時間はあったと思います。ただ、斎藤は忙しかった。監督、記者とごはんを食べに行ったり、取材も多かったです。そういうところに時間を取られていた部分はあったと思います。『もう少し、集中できる環境があればよかったのかな』と思いますが、そこは斎藤なので、仕方なかったのかもしれません」

 早大では、斎藤以外にも福井、大石の球も受けていた。当時のことを「贅沢すぎましたね」と笑いながら振り返る。

「3人ともスピードも違うし、球の質も違うんです。斎藤は球が早く、安定感もある。イメージして試合を作れるピッチャーだったので、信頼できました。任せておけば、2、3点以上取られることはありませんでした。

 福井は球にキレがありました。調子が悪いと打たれたり、フォアボールが多くなるのですが、調子がいい時は『ノーヒットノーランをするんじゃないか』というくらいの勢いがありました。特に4年の後半は安定感があり、失点も多くても2、3点に抑えてくれていましたね。7回まで勝っていれば、大石がいますから勝ちゲームです。3人がいるから、試合は本当に楽でした」

 2010年のドラフト会議で、大石が6球団、斎藤が4球団から1位指名、福井も広島から1位指名を受け、プロの世界へ進んだ。

■ドラ1トリオの球を受けた元日本一捕手は、なぜ一般企業に進んだのか

 白川さんも社会人で野球を続けたいという思いはあったが、社会人チームからの話はなかった。

「就職活動をしながらも『野球もやりたいな』という思いがありました。セレクションを受けようか悩んでいましたが、監督から『そんなに社会は甘くないぞ』と言われました。選手を引退して、30歳くらいから仕事を始めるより、最初から腹をくくって一般企業に就職しようと決めました」

 甲子園で日本一を経験し、大学でも早大黄金期を築いた白川さんだったが、いざ就職活動を始めると、周りの学生に比べて劣等感を感じたという。

「野球しかやっていなかったので、同級生と全然違いました。みんな、アルバイトもして、サークルにも入って、留学をしたり、いろいろな遊びも経験していて……。そういうものが自分には何もありませんでした。知り合いの数も全然違うんです。野球で学んだことはいっぱいあるけれど、『これじゃダメだな』と思いました」

 白川さんは「いろんな人と出会いたい」「いろいろなことを知りたい」という思いから、大手総合商社に入社を決めた。

「就職活動をしていた当時は安易な考えですが、『自分の強みを生かせるからスポーツに携わりたいな』と思っていたこともありました。商社は、物を買う、売るという両面を知ることができます。海外に行くこともできるし、お客さんもいます。『いろいろな人と関われるな』と思って入社を決めました」

「野球で学んだことしかないくらい、いろいろ経験させてもらいました。どこかで、野球界に恩返しをしたいですね」と話す白川さん。今は、大学時代をともに戦い、プロの世界で苦戦する3人を応援している。

「今年はやってくれると思いますよ。ここ3年くらい、ずっと思っているんですけどね」

 白川さんの笑顔には、会社員として仕事のやりがいを感じている充実感が溢れていた。

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki

関連リンク