- 高校野球
2017.02.07 12:00
元ラガーマン監督と女性部長で目指す甲子園〜九州大会8強・鵬翔高の挑戦〜
3月19日に開幕する第89回。その出場権をかけた九州大会で8強入りし「甲子園まであと1勝」に迫ったのが宮崎県の私立鵬翔高校。高校野球経験のない元ラガーマン監督と、女性部長という異色のコンビで同校初となる夏の甲子園出場(※)を目指している。
※春は1996年に甲子園出場
【写真】久保重人監督と長田(おさだ)夏美部長
★まさかの就任、快進撃
鵬翔高校のメイングラウンドとなる宮崎産業経営大学のグラウンドで、選手たちは数班に分かれ、トレーニングメニューに汗を流していた。その中には水の入ったポリ缶を使ったメニューもあった。
「あれはラグビー日本代表で似たようなトレーニングをしていたので、そこから影響を受けて、この冬から始めました」と久保重人監督は笑う。他にもスクラムの姿勢で下半身を鍛えるなど、“ラグビー流”のトレーニングをしている。
この久保監督の野球歴は、中学時代に「先輩と上手く折り合えず」途中退部した軟式野球部でのわずかな期間のみ。1960年に愛媛県に生まれた同監督は小学校ではソフトボールをプレーしていたが、中学校では水泳に打ち込んだ。新田高では1、2年時に全国高校ラグビー大会(通称花園)に出場、日体大でもCTBでプレーした元ラガーマンだ。1985年に鵬翔高にラグビー部の監督として赴任。1998年頃に部員が集まらなくなり休部するまで、長くラグビーの指導現場に立っていた。
その後、野球部でトレーニングメニューを組んでいた縁がきっかけとなり、2004年から副部長として野球部の一員に。2006年からは部長を務めた。野球経験はほぼ無いに等しかったため、自宅で素振りを重ねるなどし「手の皮を何枚も剥がしました」と、当時を懐かしむ。
そして2014年9月、学校側から監督に就任する辞令を言い渡された。「選手にも保護者にも戸惑いはありました」と振り返る久保監督。もちろん十数年野球部に携わり、ノックなどの指導も難なくこなせるようになっていたが、やはり不安はあった。それでも力のある選手は変わらず入ってきて、チーム力は高かった。
だが昨秋は「これまでよりは力が落ちる」と思っていたが、選手たちが良い意味で予想を裏切った。「1年生に何人か力のある子が多くて、2年生が発奮しました。“力が無い”と分かっていたので団結力があって、諦めないしぶといゲームができました」と振り返るように、宮崎大会準々決勝から九州大会初戦まで4戦連続で1点差勝ちする快進撃を見せ、センバツ出場一歩手前にまで迫る九州大会8強入りを果たした。
【写真】トレーニングを見守る長田部長
★壁を越えて
昨秋の快進撃を「ミラクルですよ」と笑うのは長田(おさだ)夏美部長。練習中は、選手たちが手を抜く仕草を見せているとすかさずに「ほら、手を抜かない」と激を飛ばした。背丈は選手たちよりも一回り小さい身長150cmと小柄だが、選手に気後れは一切感じられない。
1991年に宮崎県に生まれた長田部長。近所に男子が多かったため誘われ、小学生の頃からソフトボールを始めた。中学からは宮崎リトルシニア、高校では埼玉栄に野球留学し、硬式野球をプレー。指導者を志し、東海大硬式野球部では横井人輝前監督のもとで学生コーチを4年間経験した。2学年上の菅野智之投手(現巨人)ら一流を目指す選手たちが集まる環境で多くのことを学び、卒業後鵬翔高に赴任。久保監督も「厳しく指導くださっています」と話すように、部長としてチームを支えている。
選手たちも2人の異色の指導者に信頼を置いている。
主将を務める内田遥都外野手は「久保監督は自分たちの考えを聞いて、一緒に考えてくれる方。長田部長は男の人とは違う見方を持っているというか、挨拶が雑になったりすると、すぐに気付かれますね」と話す。
また、長田部長は久保監督の特徴をこのように語る。
「選手たちの自主性に重きを置いて、のびのびと野球をさせていますね。先生じゃなかったら、生徒たちもここまで野球を好きになっていないんじゃないかなって思います」
久保監督は秋こそ制したが、まだチームにそこまでの力は無いと語る。
「チャンピオンという意識はありません。うちより強いチームがいくつもありますので、足元を見て、やれることをやっていきます」
あくまで朴訥とした語り口ではあったが、その眼差しは選手に温かく向けられていた。
競技の壁、性別の壁を越えて指導者と選手が団結する鵬翔高は、ひたむきに一歩ずつ、甲子園への壁に立ち向かって行く。
【ひたむきにトレーニングする選手たち】
文・写真=高木遊