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今年から軟式野球の指導者に 「天才打者」を支える名将・原辰徳氏の言葉


天才打者が新たな野球人生をスタートさせる。西武、巨人で活躍した石井義人氏が、今年から山形県南陽市にある「公徳会 佐藤病院」野球部で顧問を務めることになった。同病院で社員として働く一方、ヘッドコーチのような立場で軟式野球の野球部を指導していくことになるという。同野球部は昨年の「天皇賜杯第71回全日本軟式野球大会 ENEOSトーナメント」に山形代表として出場(2回戦敗退)した強豪だ。

■「天才打者」はなぜ軟式野球の指導者に? 元西武・巨人、石井義人の現在地

 天才打者が新たな野球人生をスタートさせる。西武、巨人で活躍した石井義人氏が、今年から山形県南陽市にある「公徳会 佐藤病院」野球部で顧問を務めることになった。同病院で社員として働く一方、ヘッドコーチのような立場で軟式野球の野球部を指導していくことになるという。同野球部は昨年の「天皇賜杯第71回全日本軟式野球大会 ENEOSトーナメント」に山形代表として出場(2回戦敗退)した強豪だ。

 石井氏は浦和学院高から1996年のドラフト4位で横浜に入団。2002年オフに西武に移籍すると、天性のバッティングセンスを生かし、2005年にリーグ4位の打率.312をマークするなど活躍した。2011年オフに戦力外となるも、12球団合同トライアウトを経て、巨人に入団。1年目に代打打率.405(37打数15安打)、得点圏打率.444を記録し、リーグ優勝に大きく貢献した。さらに、中日とのクライマックスシリーズでも勝負強い打撃を見せ、代打ながらシリーズMVPに選出。日本一に導く活躍を見せた。

 2014年限りで現役を引退し、2年間、独立リーグBCリーグの武蔵ヒートベアーズで打撃コーチを務めていたが、昨季終了後に退団。そして、今年からは新たな世界に身を投じる。現役引退後、多くの苦労を重ねてきた天才打者は、なぜ軟式野球の道を選んだのか。そして、この先に何を見据えているのか。決断の裏には、名将の貴重なアドバイスもあったという。石井氏の「現在地」に迫った。

――現役引退後に武蔵で指導者としてスタートを切りました。2年間で指導の楽しさを感じることはありましたか?

「楽しみというか、教えた選手がそれなりの結果を出してくれることに、やはり一番の喜びを感じました」

――「天才打者」と言われることが多かった石井さんですが、教えることの難しさを感じることはありますか?

「『天才』ということとは関係ないですけど、今の選手は言葉が分からないという部分はありました。『懐』とか、『間の作り方』と言っても、ちょっと伝わらないので、言葉の選び方というところで、難しい部分はありました。『間を作るんだよ』と言うと、一生懸命そうしようとして後ろに体重が残ったり。『1、2、3』で打つのではなくて、『1、2の3』の『の』が欲しいのに、体重を後ろに乗せてしまって、と。そういう部分が難しかったですね。ただ、見ていて『こういう練習もあるんだな』と思ったりとか、選手が考えている練習を真似てみたりとか、そういうこともありました。本当に色々と勉強になることが多かったです」

■石井氏を支える原前監督の言葉とは…

――武蔵を退団してからは、次のステップについてどのように考えていたのですか?

「やはり野球に携わっていくような仕事はしたいなと。今までやってきた経験をどんな形にしたって残していきたかった。その中で、軟式だろうが、硬式だろうが、指導した先の選手を見てみたい。自分が育てた選手を見てみたい。もちろん、最後はプロで指導するのが目標です。ただ、その前にやることはいっぱいあるのかなと。BCを見て色々勉強になったこともあるし、軟式では硬式と違う目で(野球を)見られます。例えば女子野球も今すごく盛り上がっているし、いいなと思っていたんです」

――小・中学生を見てみたいという気持ちもありましたか?

「それもありました。できればユニホームを着て見てみたいと思っていました。野球教室とかではなくて、ユニホームを着ながら一緒に試合を見て、指導をしていきたいと。これまでやってきたような野球教室では、その場でしか選手を見られず、試合を見に行くことが出来ないので、そのチームに入って教えることができれば一番楽しいし、指導した甲斐があるのかなと。野球教室では、教えた後にどうなっているか結果を見られないので、分からなかった。とにかく、ユニホームを着ていたいなと思っていました」

――やはりユニホームに対するこだわりがあるのですね?

「巨人を戦力外になって、引退を決めた時に(当時監督の)原(辰徳)さんに言われたんです。『野球に携わっていけば、必ず誰かが探してくれる』と。それがあって武蔵に入りました。最初は本当にサラリーマンになるか迷っていました。そういう話もいただいていたので。

 引退セレモニーの時に原さんに相談したら、『やっぱり野球に携わっていくならBCの方がいいんじゃないか』と。『苦しいけど、ユニホームを着ていれば必ず誰かが見つけてくれるし、噂にはなるから』と。違う形でも、またユニホームを着ていれば、噂にはなるはずだから、もうひと花咲かせてみよう、本当に色々経験してみよう、と思っています」

■「うちのチームからもNPBに選手をいかせたい」

――病院では社員として働くことにもなるそうですね。

「今までバイトもしたことなくて、18歳でプロ野球の世界に入っているので、1回そういう世界も見ていいのかなと。その中で色々経験してやっていこうかなと。もう40歳なのに、バイトも1回もしたことがないんです。世間知らずで人生の半分まで来てしまった。野球の勉強もそうだけど、そういうところの勉強もしないといけない。それが絶対に何かのためになるし、野球にもつながるので。経験することで、将来、NPBの球団内に入れるかもしれない。武蔵を退団して、次に何をやろうとなった時に、相手がいるわけだから、相手が評価していないと自分を取ってくれないわけです。ということは、世間の勉強もしていかないといけないと思ったんです」

――好打者としてプロの世界で結果を残してきた石井さんですが、指導者としての強みはどこだと自分で考えていますか?

「打撃というよりは、いろいろな経験をしてきているところですかね。怪我や手術もありましたし、リハビリもしてきた。もちろん、『人生甘くないぞ』というところも言える。戦力外になってジャイアンツに行っているので、そこでの苦労も経験しました。そういうところは選手たちに伝えていきたいですし、何かあれば力になれると思います」

――自分のようなバッターを育てたい、と思いますか?

「自分みたいなバッターは多分、無理だと思います。それは『天才』と言われていたからとか、そういうのではなくて、やはりそれぞれの人、体型にあったバッティングが絶対にあるので、そこを引き出してあげられればと思っています。だから、自分みたいな打者に、という育て方はしないけど、こういうスイングをするんだよ、というのは教えていければ」

――最後に「公徳会 佐藤病院」での目標を教えてください。

「まずは来年、山形県で開催される全国大会での優勝が目標になります。あとは、軟式野球を盛り上げていきたい。昨年のドラフトでは軟式野球からNPBに行った選手(ヤクルトのドラフト6位・菊沢竜佑投手)もいるので、うちのチームからも行かせたいですね。野球は硬式だけではない。軟式も色々と勉強して、自分の糧にしたいです」

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