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“育成の星”巨人・山口鉄 限界悟った4度目の故障 「願えば叶う」を信じた野球人生

 【決断 ユニホームを脱いだ男たち】左肩の激痛で、掛け布団をはぐことができない。9月13日の朝だった。目を覚ました巨人・山口鉄は肩が上がらず、起き上がることができなかった。

プロ13年間で642試合に登板した山口鉄

 「前日はなんともなかったけど、急に肩が上がらなくなって。限界かなと頭をよぎった」。前日に楽天との2軍戦に登板し、1回1安打無失点。左肩を気にするどころか「気分よくマウンドを降りた」と言う。今年は1軍登板なく、3度の故障に見舞われていた。実戦復帰しては、痛め、リハビリ。無限ループに「心が折れるときもあったし、精神的にもキツかった」。そしてこの朝、4度目が来た。今回は予兆すらなく突然で、引き際を悟ることになった。

 05年、当時はまだ聞き慣れない育成選手として入団。ブルペンで同期の支配下選手がコーナーに制球するのを目の当たりにした。「これがプロか…。自分にはこれだという武器がない。本当に何もない」。プロ入りしただけでもうれしかった気持ちはすぐになくなり、当時3人しかいなかった3桁の背番号に「恥ずかしい」という気持ちが芽生えた。生き残るため、肘の高さをスリークオーターに下げた。頭角を現すきっかけになった。

 転機はもう一つ。支配下登録された翌年の08年だ。満塁のピンチで、捕手の阿部から掛けられた言葉だった。「ど真ん中に投げてこい。ホームラン打たれてもいい」。とにかく腕を振って直球を投げ込み、打ち取った。ベンチに戻ると「3割打ったらいいバッター。ど真ん中だって簡単には打てない」と言われた。育成時代から目指したコーナーを突く投球に「開き直り」が加わった。勝負どころで強気に攻めることができる。同年からプロ野球記録の9年連続60試合登板と突っ走った。

 プロ13年間で642試合に登板。3年前から左肩に不安を抱えてきた。周囲から「蓄積疲労」という言葉が聞こえるようになったが「それがどうしても嫌だった」と反発。かき消すようにリハビリを続けたが、今年は07年に1軍デビューしてから初めて1軍登板なしに終わり、引退を決断した。

 「育成の星」は新人王をはじめ、最優秀中継ぎ投手を3度、WBCで世界一も達成した。「願えば叶(かな)う」と信じてきたからだ。 (神田 佑)

 ◆山口 鉄也(やまぐち・てつや)1983年(昭58)11月11日生まれ、神奈川県出身の35歳。横浜商からダイヤモンドバックスのルーキーリーグを経て、05年育成ドラフト1巡目で巨人入団。07年4月に支配下登録され、08年に新人王獲得。12年は44ホールドのセ・リーグ記録を樹立した。09、12、13年に最優秀中継ぎ投手を受賞。1メートル84、88キロ。左投げ左打ち。