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中高大が一体になった強化でエース西原が覚醒。創部10年目の札幌大谷が初出場初優勝!【明治神宮大会 決勝 札幌大谷高 - 星稜高】

第49回明治神宮野球大会の高校の部は13日に決勝戦を行い、札幌大谷が星稜を2-1で下して初出場初優勝を達成した。

札幌大谷 歓喜の輪


駒大苫小牧が2004年に選手権初優勝を達成して以降、高校野球では北海道勢の躍進が目覚ましい。ただそんな中でも札幌大谷は2009年に共学化し、野球部を発足した新顔だ。今回の神宮大会は、春夏の甲子園大会も含めて初の全国大会だった。

船尾隆広監督が決勝戦の先発投手に指名したのは背番号1のエース西原健太。9日の初戦以来、中3日の登板だった。

立ち上がりから好投を見せていた西原だが、5回表に星稜のエンドランなどからチャンスを作られる。一死2、3塁から8番・荻原吟哉(1年)にスクイズを決められ、先制点を許す。

打線も試合の中盤までゼロ行進が続いてしまっていた。ただ、グラウンドやベンチに焦る様子は一切なかった。船尾監督はこう振り返る。
「“こんないいゲームができている”という感覚があった。僕は楽しかったですし、選手たちもそういう感覚でやっていた。点が入っていないことは特に気になっていませんでした」

札幌大谷は7回裏一死から7番・清水悠我(2年)が中前安打で出塁し、8番・佐野翔騎郎(1年)がライト線に落とす二塁打で2、3塁とチャンスを広げる。二死後に1番・北本壮一朗(2年)が中前タイムリー安打を放ち、ランナー2人を迎え入れて逆転した。

その後は2番手として登板した星稜のエース・奥川恭伸に封じられたが、西原が被安打1、1失点の快投で9イニングを抑え、1回戦からの「4連勝」で優勝を成し遂げた。

船尾監督は西原も含めた投手陣の奮闘をこう称賛する。
「西原は前回(1回戦)が今年一番のピッチングだと思ったんですけれど、それを上回る内容だった。このチームがスタートしたときは投手陣に不安があったんですけれど、今大会に限っては送り出すピッチャーが全ていい内容で頑張ってくれた。これは自信になるかなと思います」

秋の全道大会で不調だった西原を蘇らせたのは、札幌大谷大の神田幸輝監督のアドバイスだった。西原はこう説明する。
「軸足の使い方を変えました。神田監督に自分の膝が前に行きすぎる癖を見つけてもらって、膝を後ろに少し残しながら体重移動しに行くというのを教えてもらった。それを全道大会が終わってから練習した結果、コントロールが良くなった。僕が悪いときは膝が前に出て、お尻が落ちて、リリースポイントがバラバラになって高めに抜けたり低かったりした」

全道大会決勝の10月8日から丸1ヵ月あった調整期間を、彼は有効活用した。小学生低学年の頃、投手を始めた当初から「ずっとコントロールに苦しんできた」という西原だが、今大会は四球で走者を溜める場面や、置きに行って痛打される場面がなかった。

札幌大谷は船尾監督が「中学高校大学で、一つの敷地内にグラウンドが3面ある。中学のコーチが職場で席が隣なので、しようと思えば毎日でも情報を交換できる」と説明する恵まれた環境を持つ。札幌大谷中は中体連でなく日本リトルシニア中学硬式野球協会に所属し、硬式チームとして活動している。

西原も「毎日練習する環境がある」ことを考えて札幌大谷中に入学し、高校へ“昇格”してきた選手のひとり。現在は下宿生活だが、中学時代は最寄り駅までの親が車で送り、JRと地下鉄を乗り継いで片道2時間かかるという遠距離通学をしていた。

決勝戦に先発した札幌大谷ナインのうち、5名が札幌大谷中の出身。今回の初優勝は大学、高校、中学が一体になった「オール札幌大谷」の快挙でもある。

優勝を決めてエース西原のもとに駆け寄る選手たち(札幌大谷)


★第49回明治神宮野球大会決勝
星稜   000010000=1
札幌大谷 00000020X=2

【札幌大谷】○西原-飯田
【星稜】●荻原、奥川-山瀬

文=大島和人
写真=馬場遼