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銀次と枡田…楽天と共に成長してきた2人 入団当時の2軍監督が明かす原点


2017年シーズンで楽天入団12年目を迎える銀次内野手と枡田慎太郎外野手。ともに2005年の高校生ドラフト(銀次が3位、枡田が4位)で入団した2人は、創設されたばかりの球団で歴史を刻んできた。

■05年ドラフトで楽天入団、元2軍監督の松井氏が振り返る当時の2人

 2017年シーズンで楽天入団12年目を迎える銀次内野手と枡田慎太郎外野手。ともに2005年の高校生ドラフト(銀次が3位、枡田が4位)で入団した2人は、創設されたばかりの球団で歴史を刻んできた。

 現在、銀次は打線の主軸、枡田は代打の切り札として存在感を見せているが、2人はどのように成長してきたのか。入団当初、銀次と枡田を指導していたのが、名将・野村克也氏の“右腕”としてヤクルト、阪神、楽天でヘッドコーチや2軍監督を務めてきた松井優典氏だ。

 楽天の創設1年目の2005年から2軍監督を務めていた松井氏は当時、外野手として入団してきた枡田を内野手として育てる決断を下した。「最初は外野でしたが、外野であの足と長打力だったら、レギュラーにはなれない。でも、ショートであれば、あの打撃は希少性があって、すごく際立つ。ショートでダメだったらセカンドに行かせて、セカンドでダメだったらサードに行かせて、ファーストに行かせて、ダメだったら外野でいい」。そう考え、内野で使い始めた。

 枡田はプロ2年目の後半には頭角を現し、1軍デビューも果たした。しかし、1軍に定着することはできず、戦いの場は2軍が主だった。松井氏は2軍監督として枡田を主にセカンドで使い続けたが、当時は期待に応えるようなプレーをできていなかったという。

■松井氏が見る枡田と銀次の違いとは?

「慎太郎を2軍のセカンドで起用する時には、沖原とか吉岡とか鷹野といった実績のあるベテランをベンチに置いて使うことになります。こちらはある程度、(ベテランに対して)“知らん顔”してやっているけど、彼らの思いを考えたら、思うところがあった。ただ、慎太郎はそんな中でタラタラ、タラタラやっていた。時代の流れだから、若手に変わっていくのは当然なのですが、慎太郎にもベテランの思いを背負ってほしかった。下手くそでもいいから一生懸命やりましょうと。納得させるようなことをベテラン連中に思わせればいい。それで『お前が出るためにどれだけベテランに負担をかけているんだ』とキツく怒ったんです」

 枡田は2012年に星野仙一監督から評価され、1軍で79試合に出場、打率.295の成績を残すと、13年は死球での骨折で一時離脱しながら、86試合出場で打率.272をマーク。得点圏打率.364と勝負強さを見せ、球団史上初の日本一に大きく貢献した。

 松井氏は昨年、枡田が地元紙のインタビューで「今になって松井さんの言っていたことが分かる」と話していたことを耳にしたという。「よかったなと思った。うれしかった」。故障の多さに悩まされ、昨季までは思うように出場機会を伸ばせていないが、入団当初に2軍で経験したことが、その後の野球人生に生きていることは確かだろう。

 一方、松井氏が「全く逆」と表現するのが、枡田の同期の銀次だ。「真面目」だという好打者は「当時からバットに当てるのがうまかった」。2009年限りで楽天を退団し、ヤクルトに復帰した松井氏は、イースタン・リーグで対戦する際に「どうやったら銀次を抑えられるのか?」と聞かれ「真ん中に投げておけ」と答えたという。「いろんな球種で難しいところに投げたら、絶対にヒットを打たれる。だから『真ん中に投げてフルスイングさせておけ』と」。それだけ、当時から銀次の打力は際立っていた。

 しかし、キャッチャーとして入団してきた銀次は、守備の問題もあり、2010年まで1軍で出場機会はなかった。2年目(07年)のオフのフェニックスリーグで、松井氏は銀次を内野手として起用。「素晴らしいプレーをした。『あいつは将来、内野やな』と思ったんです」と振り返る。ただ、打力を生かすための「コンバート待望論」が沸き起こっても、松井氏は捕手からポジションを動かすことをしなかった。

■銀次が持つ「周囲への影響力」

「次の年になったら、そのイメージがあるから、気持ちが内野に逃げる。そこから銀次との戦いでした。絶対にキャッチャーから外さなかった。『外野や内野の方がいい』とか、色んな意見があるのは知っていました。でも、頑として変えなかった。自分でもそう(内野にした方がいいと)思っていましたが。1軍でも気が引いてしまったら、この世界は終わり。それこそ、セカンドとか内野に行った時に、また逃げてしまう。『やりきってから次のポジションを与えよう』と、ずっと銀次にはキャッチャーをやらせていた。その辺がファームでやることだと、私は考えているんです」

 銀次自身も、持ち前の「真面目」な性格でキャッチャーの練習を懸命にこなし、レベルアップを目指した。2009年オフに内野にコンバートされた銀次は、2010年にはイースタン・リーグで規定打席未満ながら打率.367のハイアベレージをマーク。12年から1軍に定着し、14年にはリーグ2位の打率.327を記録した。

「銀次の“商品価値”は、見方によっては打つだけかもしれない。ただ、その商品価値をプラスに出来るのは、周囲に与える影響。『一生懸命やったよな』とか、『一緒にやりたいな』とか。ファーストとしては長打が足りないし、ヒットを打つんだったら、もう少し足がほしい。ただ、周囲に対する影響力、信頼感がある。それが30歳を過ぎるともっと生きてくる」

 銀次は今年2月で29歳となる。天才的なバッティングに加え、周囲に与える影響力は今後さらに大きくなってくるはずだ。

 球団とともに成長を続けてきた2人の“歴史”を知る松井氏は、今でもその活躍を遠くから見守っている。

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