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2016.12.26 09:48
姉妹は大女優、甲子園準V選手の野球人生 涙を流した再会と長嶋さんの秘話
今年の大学日本選手権で始球式を行った日大野球部出身の倍賞明さん(72)。女優の倍賞千恵子さん、倍賞美津子さんを姉妹に持つ人物だ。姉の千恵子さん、妹の美津子さんは母の影響もあり、松竹音楽舞踊学校に入学。一方、明さんは中学生の時から本格的に野球を始めた。大学卒業後は社会人の鐘紡、日産自動車で活躍。日産自動車では監督も務めた。現在は都内で飲食店を経営する明さんに、選手、監督時代の思い出を聞いた。
■甲子園準V、社会人野球で監督も務めた72歳が語る野球人生
今年の大学日本選手権で始球式を行った日大野球部出身の倍賞明さん(72)。女優の倍賞千恵子さん、倍賞美津子さんを姉妹に持つ人物だ。
姉の千恵子さん、妹の美津子さんは母の影響もあり、松竹音楽舞踊学校に入学。一方、明さんは中学生の時から本格的に野球を始めた。大学卒業後は社会人の鐘紡、日産自動車で活躍。日産自動車では監督も務めた。現在は都内で飲食店を経営する明さんに、選手、監督時代の思い出を聞いた。
自身が通った東京都北区立紅葉中学校(現・北区立滝野川紅葉中学校)は野球の強豪校で、東京都の大会で優勝。試合を見に訪れていた日大三高のスカウトから声がかかったという。
「練習を見に来ないかと言われ、見に行ったらお昼ごはんにお寿司が出たんです。その時初めてお寿司を食べました。それまで、遠足の時に食べるおいなりさんか海苔巻きしか食べたことがなかったので、こんないいものが毎日食べられるのかと思って入学しましたが、その時だけでしたね」
■涙を流した五十数年ぶりの再会
日大三高では、3年の春と夏に甲子園に出場。春は決勝まで進んだものの、作新学院に破れ準優勝に終わった。この時の作新学院のピッチャーはロッテで監督、西武、巨人などでコーチを歴任した、日本プロ野球OBクラブ会長の八木沢荘六氏だ。
「2、3年前にお店のお客さんが八木沢君を連れて来てくれました。五十数年ぶりに再会して、お互い涙を流しながら昔話に花が咲きました。楽しいひと時でした」
進学した日大では4年生の時に日本選手権で優勝。卒業後は社会人の鐘紡に進むも、会社の業績悪化により2年で解散してしまう。その後は、高校、大学の先輩がいた日産自動車へ移籍。1975年、30歳の時に日産自動車監督に就任し、翌1976年に都市対抗野球大会出場を果たす。この時、予選で苦しめられたのが落合博満氏を擁する東芝府中だ。
「落合さんが東芝府中の4番を打っていました。『あんないいバッターをどうしてドラフトで指名しないんだ』といろいろなスカウトに話しましたが『あんな変則打法、プロに入っても通用しませんよ』と言う人がほとんどでした。落合さんにはよく打たれました。いい思い出はないですよ。あの時が東芝府中の都市対抗初出場でしたね」
明さん自身は、長嶋茂雄さんの大ファンだという。長嶋さんとの秘話も話してくれた。
■長嶋さんに声を掛けられて助手席に…「すごい人だなぁと思いました」
「日大野球部の合宿所の近くに長嶋さんが住んでいました。2年生になる春、上級生のカバンを持って歩いていたら、長嶋さんの車が近づいてきて『学生さんどこ行くの』と声をかけられました。『これから東大とオープン戦です』と答えると『僕も東映フライヤーズとオープン戦なんだ。乗っていきなよ』と車のトランクを開けてくれ、上級生3人が後ろに、私が助手席に座りました。
『君たち日大の野球部員だよね。一人ずつ出身校とポジションを教えて』と言われたので『日大三高出身、倍賞明です』と言いました。甲子園で準優勝していたので『君、あの倍賞君。じゃあ、お姉さんは千恵子さんだ』と私のことを知っていたんです。『今度食事しよう。電話番号を教えてくれ』と言ってくれたので、もう嬉しくて。寮の電話番号を書き、ずっと寮で電話番をしていました。でも、残念ながら電話はありませんでした」
しかしその数か月後、長嶋さんと再会する機会が訪れた。姉の千恵子さんが、雑誌で長嶋さんと対談することになったのだ。
「千恵子姉さんに『一緒に来てくれない?』と言われたので、喜んでついて行きました。その時、長嶋さんに『君、出身はどこ? ポジションは? 今度食事しよう。電話番号を教えて』と同じことを言われました。『長嶋さん、お忙しい方だからサインだけお願いします』と言って、サインをもらって帰りました。すごい人だなぁと思いましたよ」
自身が営むお店には、様々な高校、大学のユニフォームが飾られている。お客さんが、自分が着用したものなどを持ってきてくれるそうだ。そこは明さんと野球談議を楽しむ野球ファンで賑わっていた。
篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki