BASEBALL GATE

プロ野球

背中を追い続けた15年間 ロッテドラフト1位・佐々木千隼と吉野広輝の絆はいつまでも

%e4%bd%90%e3%80%85%e6%9c%a8%e5%8d%83%e9%9a%bc%e3%81%a8%e5%90%89%e9%87%8e%e5%ba%83%e8%bc%9d%ef%bc%88%e6%a1%9c%e7%be%8e%e6%9e%97%e5%a4%a7%ef%bc%89

★15年の絆

「悔しいです。チームメートに申し訳ない。実力不足でした」
 明治神宮大会決勝戦の明治大戦に敗戦後、記者会見で、桜美林大の佐々木千隼投手(ロッテドラフト1位指名)は、涙でなんとか言葉を絞り出した。普段は会見でもクールに話し、時折笑みを見せる佐々木だが、この日は目を真っ赤に腫らし、言葉がなかなか続かなかった。
 閉会式後の記念撮影では、笑顔が戻ったが、球場を出て沼田涼主将(4年/
平塚学園)が熱い言葉を全スタッフ・部員の前で語ると、佐々木の目には再び涙があふれた。
 そして、4年生を中心に部員たちが、応援に訪れた人々に感謝の念を伝え輪が解けると、佐々木は制服姿の吉野広輝(4年)と抱き合い、互いに大粒の涙を流した。

 佐々木と吉野が出会ったのは、小学校2年の頃。
 先に、日野イースタンジュニア入団していた吉野に佐々木がランニングで「競争しようぜ」と声をかけてきたことがきっかけだった。「当時から足もメチャクチャ速かったです」と苦笑いする吉野だが、以来2人は親友でありライバルとなった。
 多くの時間を2人で過ごし、夏休みは周囲が遊びに行く中、2人で野球の練習をした。そして三沢中、日野高とともにプレーし、吉野が主将として、佐々木がエースとしてチームを引っ張り、中学では東京都大会8強、高校では西東京大会8強と、公立校を都内上位に押し上げた。
 大学進学の際は、先に桜美林大進学が決まっていた佐々木から吉野に「練習参加してみれば?」と声をかけて、チームメートに。気付けば、ランニング競争を持ちかけられてから15年もの月日が経っていた。

★佐々木がいたから、今まで野球ができた

 大学では早くから登板機会を掴んだ佐々木に対し、吉野は出場機会を多く掴めずにいたが、吉野が練習中に左肩を骨折した際には、佐々木が誰よりも早く「また一緒に野球しよう」と連絡をくれた。
 リハビリを経て復帰を果たした吉野は4年秋まで選手としてプレーし、硬式野球人生をまっとう。卒業後は硬式の第一線から退き、多摩信用金庫で軟式野球をする予定だ。
 そして、佐々木は長年の夢であった「プロ野球選手になる」ということを叶えた。ドラフト指名の記念撮影では、吉野が佐々木を肩車し、「しんどい時もたくさんあったので、よく頑張ったな。本当に良かったなと思いました」と、佐々木以上の笑みが弾けさせた。
 
 2人の15年間の集大成となった明治神宮大会では、佐々木はエースとしてマウンドに立ち、吉野はスタンドから精一杯の声援を親友とチームメートに送った。優勝こそ、あと一歩届かなかったが、全国の大学球児の中で最も長い秋を過ごした。
「僕の野球人生にはずっと佐々木がいたので、もう一緒に野球できないのが寂しいです。出会った頃からはずっと前を突っ走ってくれて、僕はその背中を追いかけて今まで野球をすることができました。最後は突き放されてしまいましたけど、ずっとライバルでした」
 そう言って、吉野は泣き顔から笑みをこぼした。
「自らの道を突き進んで、みんなから応援される選手になって欲しいですね。僕もガンガン球場に応援に行きたいと思います」
 来年からは初めて異なるユニフォームを着てプレーするが、2人の絆はいつまでも変わることはない。

文・写真:高木遊